美しい渓流で見た ハリガネムシがつむぐ生態系の物語
神戸大学 群集生態学 佐藤拓哉(最終回)
◇ ◇ ◇
京都大学の芦生研究林で、深夜、林床をさささっと動き回るカマドウマに会い、翌日の日中、水中のハリガネムシと、サケ科渓流魚、ヤマメやイワナと会った。
佐藤さんが、今回、彼の「研究室」である森で見せてくれた「フルコース」はそのようなものだった。
単一の種というよりも、生態系の中のエネルギーの流れの中に位置づけられた存在として語る部分が大きかったのだが、そういう話題が一段落した後で、今度は生き物の方を中心にもう一度振り返っておきたい。わずかながらフィールドで触れあった「彼ら」をめぐるあれこれについて落ち穂拾い。
まずは渓流魚。
これは美しい。ありていに言って、美しい。
佐藤さんはもともと渓流魚の保全研究者で、サケ科の魚の話題になるともう感情移入しまくりだ。同行した編集者もカメラマンも上級の釣り人なので、芦生研究林のヤマメやイワナの美しさに感嘆していた。ぼく自身も、「宝石のような」とかありきたりの言葉を臆面なく使おう。
だから、今も佐藤さんの心の中心には、宝石のような渓流魚がドカンと居座っているのは無理もない。
「学会で人に会うと『ハリガネムシの佐藤さんですよね』とか、言われるんです。でも、僕は『ハリガネムシを通して、渓流魚の研究をやっているんや』って、声を大にして言いたい。ハリガネムシの佐藤、違いますよ(笑)」
美しい渓流魚と対極にあるのがカマドウマ。
人気がない、というか、ゴキブリなみに嫌われている昆虫として登場し、今回の「エネルギー流」の中でも、行動を操作された上で、単にムチムチした特上の食べ物として扱われるなど、かなりふびんだ。こういった寄生する・されるの関係で、カマドウマ側になにかメリットはあるのだろうか、と素朴な疑問が浮かんできた。
「ああ、それ本当にいい質問やと思います。この系って、カマドウマにとって救いがなさ過ぎるんですよね」と佐藤さん。
やっぱり、「救いがなさ過ぎる」ものらしい。カマドウマにはまことにご愁傷さまだ。それでも、ハリガネムシの寄生のせいでカマドウマが絶滅してしまわないようにはできている。
「ハリガネムシに感染されるカマドウマって、川から50メートルも離れるとガクンと少なくなるんですよ。水生昆虫の分散に依存しているので。だから、その範囲の外に母体があるような個体群やったら、個体群としては大丈夫。あるいは、カマドウマ2種がすごく競争しているような系だったとすると、これは生態学の理論でよくあるんですけれども、片方が多くなってくると確率的に感染が高くなるので、川に飛び込んで殺されるのが増えると。そうすると今度は、もう片方の種が増えてくるとか──」
やっぱり個体レベルでは救いがなさすぎる話である。いや、ほんの少しなら救いめいたことはあるかもしれないと佐藤さんはいう。
「どうせ寄生されているんだったら、最悪、早めに飛び込んで、早めにお尻から出ていってもらったら、もう一度人生をやり直せるかもしれないみたいな、そういう考えを言っている研究者はいます。バッドな状況での協力があるかもしれない、と。そうすると、いくらこのおなかの中がハリガネムシで覆いつくされたとしても、3個ぐらいは卵持てるとか、矮小(わいしょう)化した精包は持てるとか。飛び込んだとしても、ハリガネムシを出してからもう一回陸域に上がることさえできれば、少しは次の世代に自分の子供を残せるかもしれないという」
うーん、これを救いというのには、ほど遠い気がする。そして、ぼくにしても、当面、何かでカマドウマを見るたびに、「お、エネルギーの流れが」などと最初に思うことだろう。
そして、今回のストーリーの主役であろうハリガネムシに再登場ねがおう。
宿主の行動を操作する恐ろしい奴だが(このとき、我々が感じる恐ろしさは「寄生されたら嫌だ!」に尽きる)、今回のフィールドで何匹も見ているうちに印象が変わってきた。
「ハリガネムシって、カマドウマほど嫌がらない人の方が多いんですよ」と佐藤さん。「実物を見せると、『ああ、これか』と触ったりできる人も比較的多いんですけれども、カマドウマは見るのも嫌とか言われてしまいます」
本当にカマドウマはどこまで行っても嫌われており、救いがない。ぼくは、結構格好良いと思っている、ということを、あらためて強調しておこう。それが彼らになんの慰めにもならないとは承知しつつ。
そして、ハリガネムシが、実際に見ると、それほど嫌ではないというのもまた事実だと思う。『寄生獣』みたいにパカッと開くというのはめったに起きることではないし、クチクラの体は、見た目も触感もどこか無機的だ。動き方はたしかに気持ちわるいが、手に取ってみると、それほど素早くないので、ハリガネに合成樹脂の被覆をしたもののようにも思えてくる。
ぼくたちがフィールドにいる間に、2匹の完全体、つまり、どこも切れていなくて30センチ以上あるようなものを見つけたのだが、その1匹はオス、もう1匹はメスだった。
「こいつたち、一緒にすると、すぐに絡まりあっちゃうんです。宿主をあやつって、水の中に入っても、そこですぐに相手が見つかるわけでもないでしょうし、見つけたら離れないみたいな」
実は、今回、生き物として、個体として見た場合、一番、心にしみたのは、美しい渓流魚でも、気の毒なカマドウマでもなく、このハリガネムシたちだったことを告白しておく。
非常にトリッキーな方法で生活史をまわしている彼ら・彼女らのことを知ると、その巧妙な手法に驚かされるわけだが、しかし、それでも、どれだけの偶然に支えられて、この子たちはここで出会ったのであろうかと考えてしまうのだ。
うまく水生昆虫に寄生してもカマドウマまでたどり着けるか分からない。カマドウマを操って、水に飛び込ませても、すぐに渓流魚に食べられるとやはりおなかの中で死んでしまう。無事に水に出ることに成功しても、遊泳力に秀でているわけでもなく、どうやってつがう相手を探せばいいんだ! これはほとんどキセキではないか。
このとき、秋の美しい山林のみずみずしい林床で、清らかな水流を間近に感じながら、ぼくの頭の中で小泉今日子が歌う「優しい雨」のサビがリフレインした。粛々と生活史を回すハリガネムシ的日常の中で、偶然、しかし運命的に出会い、始まってしまった2人である。だからこそ、そんなに慈しみあうように求め合って、解けない結び目みたいに絡まり合うのね。
ハリガネムシに変な感情移入をおぼえ、その途中で犠牲になった宿主のカマドウマにゴメンナサイ、と思いつつ、妙にしんみりした気分の研究林だった。
ぼくらが会った2匹のハリガネムシは、佐藤さんの研究室に「お持ち帰り」ということになったので、今も、研究室で仲良くしているかもしれない。気になって問い合わせたら、無事に産卵し、ふ化しそうだと連絡があった。善き哉(よきかな)。
それにしても……最後は、ハリガネムシに感情移入して、帰ってくることになろうとは思ってもいなかった取材であった。
(2014年11月 ナショナルジオグラフィック日本版サイトから転載)
1979年、大阪府生まれ。神戸大学理学部生物学科および大学院理学研究科生物学専攻生物多様性講座准教授。博士(学術)。在来サケ科魚類の保全生態学および寄生者が紡ぐ森林-河川生態系の相互作用が主な研究テーマ。2002年、近畿大学農学部水産学科卒業。2007年、三重大学大学院生物資源学研究科博士後期課程修了。以後、三重大学大学院生物資源学研究科非常勤研究職員、奈良女子大学共生科学研究センター、京都大学フィールド科学教育センター日本学術振興会特別研究員(SPD)、京都大学白眉センター特定助教、ブリティッシュコロンビア大学森林学客員教授を経て、2013年6月より現職。日本生態学会「宮地賞」をはじめ、「四手井綱英記念賞」、「笹川科学研究奨励賞」、「信州フィールド科学賞」などを受賞している。
1964年、兵庫県明石市生まれ。千葉県千葉市育ち。文筆家。小説作品に、『川の名前』(ハヤカワ文庫JA)、『天空の約束』(集英社文庫)、NHKでアニメ化された「銀河へキックオフ」の原作『銀河のワールドカップ』(集英社文庫)とその"サイドB"としてブラインドサッカーの世界を描いた『太陽ときみの声』(朝日学生新聞社)など。
本連載からのスピンアウトである、ホモ・サピエンス以前のアジアの人類史に関する最新の知見をまとめた近著『我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち』(講談社ブルーバックス)で、第34回講談社科学出版賞と科学ジャーナリスト賞2018を受賞。ほかに「睡眠学」の回に書き下ろしと修正を加えてまとめた『8時間睡眠のウソ。 日本人の眠り、8つの新常識』(集英社文庫)、宇宙論研究の最前線で活躍する天文学者小松英一郎氏との共著『宇宙の始まり、そして終わり』(日経プレミアシリーズ)もある。近著は、世界の動物園のお手本と評されるニューヨーク、ブロンクス動物園の展示部門をけん引する日本人デザイナー、本田公夫との共著『動物園から未来を変える』(亜紀書房)。ブログ「カワバタヒロトのブログ」。ツイッターアカウント@Rsider。有料メルマガ「秘密基地からハッシン!」を配信中。
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