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「天才」――。長年、田中角栄とライバル関係にあった石原慎太郎も角栄をこう評するようになったが、確かに側にいた人は「あれは天才だ」と証言することが多い。しかし、それだけではない。人には見せない必死の努力が角栄を「天才」たらしめていた。通商産業相(現経済産業相)、首相の秘書官として角栄を支え続けた最側近の証言を『田中角栄のふろしき』(日本経済新聞出版社)から拾ってみよう。7回連載の4回目はたゆまぬ努力。 =敬称略

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「歩いて行けるような近い場所で毎晩、3つ料亭を押さえるのが私の極めて重要な役割だった」――。通産省の官僚で事務次官まで務めた小長啓一は秘書官時代を振り返る。

角栄の宴席は毎晩3つ。午後6時からスタートし7時に2軒目、3軒目は8時から始まった。文字通り「ほぼ毎晩」。時間はそれぞれどんなに長くても一時間が限度。時間がくるとさっと切り上げる。オーバーすることはほとんどなかった。「必ず予定の時刻の10分前には着いていたい」というのが、角栄からの要請だったから、できるだけ渋滞にはまって遅れるようなことがないよう近くの料亭を押さえたのだった。

宴席は1日3件、午後10時には就寝

新橋なら新橋、赤坂なら赤坂と固め、仮に宴席の相手同士が街で出くわしても差し支えないよう組み合わせをできるだけ日程を調整しながら、同じ場所で3件まとめて予約するのが小長の腕の見せどころだった。小長の電話帳にはギッシリと料亭の場所、電話番号が記されていた。

角栄の酒席はいつもニコニコ、ワアワア。話題を上手に選びながら、明るく賑(にぎ)やか。場を自ら盛り上げ、相手を決して退屈させることはなかった。だから家に帰ると夜更かしはあまりしなかった。軽い食事をとると後はさっさと布団に入り午後10時過ぎには寝てしまった。

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