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野人・岡野雅行さんのサッカー人生 高校から逆境続き 元サッカー日本代表・現ガイナーレ鳥取代表取締役GMに聞く(上)

日経Gooday

2019/8/26

「高校時代の経験のおかげで、些細なことではめげなくなった」と話す元サッカー日本代表の岡野雅行さん
日経Gooday(グッデイ)

「野人」の愛称で知られ、1997年、FIFAワールドカップ・フランス大会アジア最終予選で、日本代表をワールドカップ初出場に導くゴールを決めた岡野雅行さん。現在はガイナーレ鳥取で代表取締役GMを務め、チームを強くするために、スポンサーを獲得する営業活動などに全国を奔走する。決して「サッカーエリート」ではなかったという彼が、「ここぞ」という時のチャンスを成果につなげてきたメンタルや勝負強さは、学生時代からの逆境に立ち向かってきた経験によるものが大きいという。

――大きなプレッシャーがのしかかる中、果敢なプレーで歴史にも記憶にも残るゴールを決められた岡野さんですから、メンタルは相当強いのだろうなと想像します。

岡野 僕は、サッカーエリートではありませんでした。サッカー名門校に所属していたわけでもないですし、名門校どころかサッカー部がない高校に入学したくらい。そこからサッカーをどうしても続けたかったので、自分で道を切り開いて、巡ってきたチャンスをつかみ、日本代表になってワールドカップ初出場の風穴を開ける原動力の1人になれました。チャンスは決して多くはなかったですが、ここぞという時に結果につなげることができたのは、学生時代に培った、物おじしない精神面の影響が大きいと思います。

■入学したら、サッカー部がない高校だった

――サッカー部がない高校に通っていた高校生がどのように日本代表まで上り詰め、強いメンタルを培ったのですか?

岡野 僕は横浜で育ち、幼い頃からいろんな習い事をしたのですがどれも続かず、唯一続いたのがサッカーでした。中学の成績は芳しくなく、勉強が嫌いだったので、中学卒業後にブラジルのサッカー留学を希望したのですが、家族に反対されました。結局、僕でも入学できるという叔父の勧めで、島根県松江市の松江日本大学高等学校(現:立正大学淞南高等学校)に進学します。島根なら都心に比べてライバルも少ないし、全国サッカー選手権にも出やすいとも思いました。もちろんサッカー部に入部する気満々でした。

しかし入学後、サッカー部がないことに気づきました。同じようにサッカー部があると思って入学した先輩が、校庭の裏でサッカーボールを1人で壁に向かって蹴っている姿を見て、がくぜんとしました。すぐに退学して横浜に帰ろうと思いました。

でも、自分が唯一続いたサッカーを諦めたくないし、逃げるような嫌な感じもありました。何よりも「得意なサッカーは続けろ」と両親も応援してくれていました。そこで先輩に「一緒にサッカー部を作りますか」と声をかけ、理事長に直談判しに行ったんです。僕らの熱い思いが届いて理事長の許可をもらい、部員を募集すると、20人ほど集まりました。

■けんかっ早い先輩たちをどう引っ張ったのか

――経験者が多かったのですか?

岡野 いえ。サッカーをやりたいという生徒は少数で、ほとんどが未経験者の先輩ばかり。オフサイドといったルールも知りませんでした。

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