今、苦しんでいる子たちにも、「学校にいる人間がみんな敵でも、ひとりぼっちでも、学校の外には必ず味方がいる。今は好きなことを吸収して蓄える『さなぎの時間』として、生き延びてください」と伝えたい。どうか死ぬことだけは選ばないで。
無責任なことは言いたくないから
過去を受け入れられたことで、「死ぬんじゃねーぞ!! いじめられている君はゼッタイ悪くない」(文芸春秋)を1冊の本としてまとめることができたと思います。

文章は、あの頃の自分にどうすれば伝えられるかをすごく考えました。大人は「卒業すれば大丈夫だよ、大したことないよ」と言いがちだけれど、明日も明後日も学校に行かなきゃいけない当時の私は、そんな言葉をかけられても「無責任なこと言わないでほしい」と絶望しかありませんでした。当時の感情をそのままおぼえているし、押しつけにならないかと言葉を選ぶのがすごく難しかった。
そんなときに思い浮かんだのが、幼なじみの「木村」のことでした。中3のクラスで、小学校で仲が良かった木村と同じクラスになれたんですよ。木村は、私がクラスメートから、「キモい」「何アイツ」と陰口をたたかれていても気にしません。楽しく私の隣に寄り添っていてくれました。
下校時に、私のげた箱がボコボコにへこまされていたことがあったんです。いじめを受けていることをまわりに知られたくないし、自分でも認めたくない。親や先生に知られたくないし言いたくない。つらくて心がいっぱいになるなかで、木村は確かに見えているはずのげた箱に何も触れずにいてくれました。いつもと変わらない、たわいない話をしてくれました。その存在にどれだけ救われたか。今でも一緒にオンラインゲームをしたり、ごはんに行ったりする大切な友だちです。
「隣(とな)る人」という言葉があるそうです。「そっと寄り添い続けてくれる人」といった意味。
私にとっての木村のような、この本が誰かにとっていい距離で寄り添えるような「隣れる存在」になればうれしく思います。


(文 平山ゆりの、写真 鈴木芳果)