「社員の笑顔」がトップの責務 西郷隆盛の遺訓に学ぶピジョン 山下茂会長(上)

――その後どう黒字化したのですか。

「タイで始めたゴルフをきっかけに、色々な知り合いができました。総合商社の物資部の部長と知り合って国内外のメーカーにアポイントメントを取ってくれて、少しずつOEMが取れるようになりました。仲田社長も四国の協力メーカーに、タイ工場に生産を回すようお願いしてくれたりしましたが、3年目も赤字になりそうでした。そんなとき、米国の育児用品メーカー、ランシノ・ラボラトリーズという小さな会社からOEMの引き合いが本社に入ったのです。ランシノは米小売業のウォルマート向けに生産していた会社だったので、初回のオーダーで2カ月間、24時間フル稼働で工場を動かして単年度黒字になりました。本当にたまたまですが、それがなければ今、私はピジョンにいないでしょう」

――タイの経験からリーダーとして、どのようなことを学びましたか。

「タイでは『今までと同じ働き方ではダメだ、どうしたらいい会社にできるだろうか』と考え、4つの言葉に行き当たりました。1つは『気』。コミュニケーションはある意味で気の交流です。例えば『あまり好きじゃないな』と思いながら人と話していると、何となく相手に伝わりますよね。私は突然社長になったので、社員に対してどんなときもいい気を送り続けなければいけないと思いました。2番目は『即対応』。ビジネスは時間との戦いなので、対応を早くする。3番目は『工夫』で、他の人がやっていないようなことを自分でとことん考えてやっていく。最後は『熱意』です」

現地社員へのそのお返しとして、何かできないかと考えて必死に働いたタイ現法社長時代(中央)

「単純な4つの言葉ですが、『やり続けて成果を出そう』と自分に誓いました。そうしたら、それまではずっと自分のために働いていたことに気づきました。能力もスキルも給料も、自分のことだけを考えていたのです。でも、タイには現地の社員がいて責任を負うのは私です。彼らのことを真剣に考えるようになりました」

「こんなこともありました。ある月に黒字化したので、ソムタムというタイのサラダを昼食に出したところタイ人の社員がすごく喜んでくれました。その喜んだ顔を見て、自分の中に喜んでいる自分自身を初めて見つけました。赤字続きの頼りない社長でも、社員向けの慰安パーティーを開けば私を中心に据えてもり立ててくれます。そのお返しとして、何かできないかと考えて必死に働きました。後にも先にも、あんなに働いたことはないと思います」

入社動機は「海外で働きたい」

――ピジョンに入社したのは育児用品に興味があったからですか。

「これもたまたまというか、偶然です。もともとは新しい出会い、景色、文化に憧れて海外で仕事がしたいと考えていました。高校生のときはマスコミの海外特派員になりたくて、大学では社会学部を選びました。でも、すごく狭き門だと分かったので、外資系の商社から内定をもらいました。ほっとしたときに、大学の同級生がピジョンに入社が決まったというので、『ピジョンって何』と聞いたのです。育児用品の大手だと教えてくれましたが、『でも、上場もしてない会社でいいの』といった覚えがあります」

ブックコーナー ビジネス書などの書評はこちら
出世ナビ記事アーカイブ一覧
ブックコーナー ビジネス書などの書評はこちら
出世ナビ記事アーカイブ一覧