みなさんこんにちは。ご無沙汰してしまってすいません。
実はね、前回書いた記事から今日までの間に、いろんなことがあってね。まずひとつは、わたし、学生にもどりました。聖心女子大学の大学院を今年2月に受験して合格したので、4月に入学しました。31歳になって、あんなに行く意味ないと思っていた学校に自らまた通うことになるなんて、思ってもみなかった。人生ってまじでどうなるかわかんないなあ、って思ってます。
私にとっては、「勉強」とか「試験」とかはいつも手段でしかない。目的(今風にかっこよくいうとビジョン)があって、そのために必要があれば勉強や試験を「使う」ってイメージ。中学受験のときもそう。「キャラ変」をしたくて、今までの自分を誰も知らない世界に行きたい、と思って受験した。自分の世界を変えるための手段が中学受験だった。大学受験も、名古屋から出て、もっと広い世界にいきたい! 桜井翔くんみたいなイケメンがうじゃうじゃいるようなキラッキラな世界に私も行きたい!と思って受験に挑んだ。ここでも自分の世界を変えるための手段だった。
今回はね、初めてちょっと違うかもしれない。なんでまた、授業料をわざわざ払って学校に通い、勉強しようと思ったのか(しかも何歳も年下のぴちぴち女子大生たちに混じって)。
ビリギャルと呼んでいただけるようになって、たくさんの学生と会う機会をいただいた。最初は、「自分が経験したことをお話ししたらいいのかな?」っていう程度の気持ちだった。でも、その現場で出会う学生たちが目に涙をいっぱいにためて、震える手で私に握手を求めてくれるんだ。「さやかちゃんに会えて、夢のようです。わたし、ビリギャルのおかげで人生が変わったんです」
私は彼らに教わったの。「ビリギャル」というストーリーが世の中に出た本当の意味を。そこには、使命があるんだと思った。私は人に関わる仕事をさせてもらってるんだ、と気づいた。そう思ったとたん、なんかすごく力がわいてきた。もっとこうしたい、もっとこうなったらいいのに、って、見える景色が変わってきた。小さなこどもたちを含めたわたしの後輩たちをとりまく環境には、変わったほうがいいこと、変わらなきゃいけないことがたくさんあることを知った。そしたらやりたいこと、いっぱい増えてきたの。
と同時に、「自分なんてどうせ」「夢なんて別にない」って、昔のわたしみたいな学生たちにもたくさん出会って、私に何ができるかもたくさん考えた。私にしかできないこと、それは「伝える」ということだと思った。共感できるからこそ伝わる言葉があると、この数年で実感してる。私に耳を貸してくれる人がこんなにたくさんいる。