寄生虫ハリガネムシ どうやって宿主の心を操るのか
神戸大学 群集生態学 佐藤拓哉(3)
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宿主を操り、自らに都合のよい行動を取らせる寄生虫がいる。聞いただけで気持ち悪いが、そんな寄生虫であるハリガネムシと宿主の異常行動を、森と川の生態系の中に位置づけて研究し、次々と成果をあげている佐藤拓哉さんの研究フィールドに行ってみた!(文 川端裕人、写真 的野弘路)
寄生虫であるハリガネムシが、宿主であるカマドウマを操作して、ハリガネムシの産卵場所である水に飛び込ませる。
はたしてどういう理屈でそんなことが可能になるのか。
謎が多いながら、分かってきていることもある。佐藤さん自身は生態学者として野生で起きていることを見る方に重心があるものの、共同研究者と一緒に行動操作の謎に挑む研究にもかかわりはじめている。今のところ、どんなことが分かっているのか聞いた。
まず、大きく分けて、2つの方面からのアプローチがある。
ひとつは、ハリガネムシに寄生された宿主の行動を緻密に観察したり実験したりして、推測すること。もうひとつは、分子生物学的な方法で、操作されている時の脳内にどんなタンパク質や生理活性物質が発現しているかなどを細かく見ていく方法。行動を直接見るか、脳内の分子レベルの状態を見るか、という違いだ。
ハリガネムシはどうやって宿主を水に飛び込ませるのだろうか。
いずれも、フランスの研究チームによる先行研究がある。カマドウマではなく、手に入りやすく研究室でも扱いやすいコオロギを使って、2002年には行動学的な面での研究、05年には神経生理学的な研究をそれぞれ発表している。
「フランスの研究者が、一番はじめにやったのは、Yの字みたいな分岐する道があって、先に水を置いてあるところと置いていないところがあるような実験です。寄生されたものを遠くから歩かせると、ワーッと歩くうちに、水のある方にもない方にも行ってしまう。ただ、水がある方に行ったやつは、ほぼ100パーセント飛び込むということがわかってきて、おそらく、最後のところでは水がキラキラ反射するのに反応しているのではないかといわれていました。そこで、台の上に寄生されたコオロギを置いて光をバーッて当ててやると、そこに向かって行くことも示されて、じゃあ、やっぱり光に応答してるんやろう、というふうになってきたわけです」
では、その時、宿主の脳の中では何が起きているのか。
「脳内で発現しているタンパク質をチェックできる技術が2000年以降に出てきたので、それを使った研究がされています。いろんな段階のコオロギ──ハリガネムシに寄生されてるやつ、寄生されてないやつ、寄生されているけれどもまだ行動操作を受けていないと思われるやつ、あるいは寄生されてお尻からハリガネムシを出してしまった後のやつ。そういうものを集めてきて、脳内に発現しているタンパク質を徹底的に見たわけです。すると、まさに飛び込もうとしているようなコオロギの頭の中でだけ、発現しているものがいくつか見つかりました。それをさらに『ホモログ解析』という手法で調べると、神経の異常発達にかかわったり、場所認識にかかわったり、あるいは光応答にかかわる日周行動に関係したりするタンパク質と似ていると分かったんです。他の生物の研究で機能が確かめられているものと似た構造を持っていたという意味です。その中には、ハリガネムシのほうがつくったと思われるものも含まれていたんです」
これまた出来すぎな話なのだが、ハリガネムシはまさにそれをやってのけている可能性がたあるのだそうだ。
「行動実験と分子生物学的な実験の結果を合わせて考えると、おそらく神経発達をグチャグチャにして異常行動をさせながら、光応答の仕方を変えて、水辺に近づいたら飛び込むというような、2ステップで行動操作を巧みにしてるんやってことが、今は想像されてます」
まったく、こんなことがどんなふうにして可能になったのか。信じがたいほどだと感じる。だからこそ、佐藤さんも神戸大学の共同研究者らと、この分野に切り込んでいく予定だ。そのためには、ハリガネムシを飼って寄生させて、というサイクルを研究室の中で回さなければならないと思うのだが、それは大丈夫なのだろうか。あれを飼育するというのは宿主もまとめて飼育するということで、相当大変ではないか。
「実は、ハリガネムシの成虫を研究室に持って帰ってくると、すぐ卵産んでくれるんですよ。で、しばらく待つと卵がふ化して、『ああ、うまいこといった』ってなって。それで、水生昆虫を近所の川からとってきて幼生と一緒にすると、5日ぐらいするとシストをつくるんです。で、『ああ、うまいこといった』って言って、その水生昆虫を終宿主、コオロギに食べさせるんですけど、なぜかそこでうまいこといかないんです」
カマドウマではなくてコオロギ。いったいなぜ? たしかにヨーロッパでの先行研究はコオロギを使っていたわけだが、研究林で佐藤さんはしきりとカマドウマを集めていたので、当然、カマドウマを使うのだろうと思っていた。
「ヨーロッパイエコオロギとか、市販されているような簡単に手に入るコオロギを使って研究を回したかったんです。アメリカのハリガネムシではできるっていうのがわかっていたのと、神経生理をしっかり進める上でモデル生物の1つなんです。重要な機能に関するタンパク質とか、遺伝子レベルのこともほとんどわかっているので、それに対して寄生生物が何したかっていうのがチェックしやすい。でも、全くうまいこといかなくて。それで、本州だけでなくて、北海道のハリガネムシとか、いろんなハリガネムシ試してて、もうマッドサイエンティストです。集めてきては卵産ませて、食べさせて感染させまくるって……それでもできないので、仕方がないので今年からはカマドウマやカマキリにまで手を出すかというところなんです(笑)」
カマドウマは成長するのに時間がかかるし、ヨーロッパイエコオロギのように、モデル生物というわけでもない。神経生理学的な研究のためには、ちょっと都合が悪い部分もあるのだが、しかし、現場で実際に寄生されているものだから、それができれば研究の長所にもなるはずだ。いったいどんなメカニズムで行動が操作されるのか、さらにメカニズムが解明されるのが楽しみだ。
もっとも、生態学者の佐藤さんとしては、この研究はどちらかというと派生的な課題である。
「生態学の立場からすると、別にここ、ブラックボックスでもいいんです。ある生き物が別の生き物の行動を操作して飛び込ませることで、生態系の中で生物群集ができ上がったり、生態系の機能が働いたりするっていう部分がわかればいいので、その時、頭の中でどんなタンパク質が発現しているかとか分かってなくてもいいんですよね。でも、興味深いのは確かですし、解明できたら生態学的な興味につながるかもしれない部分もありますので」
では、生態学的な興味としては、むしろどっちに向かうのが本来の関心事なのかというと──。
端的にいえば、飛び込んだカマドウマが、その後、どうなるか、だ。
やっと、カマドウマ・ハリガネムシのちょっとキモチワルイ関係から、次の話題に移ることができる。研究林で出会う「フルコース」の中で、デザートのごとき清涼な生き物。ヤマメやイワナなどのサケ科の渓流魚だ。
(2014年10月 ナショナルジオグラフィック日本版サイトから転載)
1979年、大阪府生まれ。神戸大学理学部生物学科および大学院理学研究科生物学専攻生物多様性講座准教授。博士(学術)。在来サケ科魚類の保全生態学および寄生者が紡ぐ森林-河川生態系の相互作用が主な研究テーマ。2002年、近畿大学農学部水産学科卒業。2007年、三重大学大学院生物資源学研究科博士後期課程修了。以後、三重大学大学院生物資源学研究科非常勤研究職員、奈良女子大学共生科学研究センター、京都大学フィールド科学教育センター日本学術振興会特別研究員(SPD)、京都大学白眉センター特定助教、ブリティッシュコロンビア大学森林学客員教授を経て、2013年6月より現職。日本生態学会「宮地賞」をはじめ、「四手井綱英記念賞」、「笹川科学研究奨励賞」、「信州フィールド科学賞」などを受賞している。
1964年、兵庫県明石市生まれ。千葉県千葉市育ち。文筆家。小説作品に、『川の名前』(ハヤカワ文庫JA)、『天空の約束』(集英社文庫)、NHKでアニメ化された「銀河へキックオフ」の原作『銀河のワールドカップ』(集英社文庫)とその"サイドB"としてブラインドサッカーの世界を描いた『太陽ときみの声』(朝日学生新聞社)など。
本連載からのスピンアウトである、ホモ・サピエンス以前のアジアの人類史に関する最新の知見をまとめた近著『我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち』(講談社ブルーバックス)で、第34回講談社科学出版賞と科学ジャーナリスト賞2018を受賞。ほかに「睡眠学」の回に書き下ろしと修正を加えてまとめた『8時間睡眠のウソ。 日本人の眠り、8つの新常識』(集英社文庫)、宇宙論研究の最前線で活躍する天文学者小松英一郎氏との共著『宇宙の始まり、そして終わり』(日経プレミアシリーズ)もある。近著は、世界の動物園のお手本と評されるニューヨーク、ブロンクス動物園の展示部門をけん引する日本人デザイナー、本田公夫との共著『動物園から未来を変える』(亜紀書房)。
ブログ「カワバタヒロトのブログ」。ツイッターアカウント@Rsider。有料メルマガ「秘密基地からハッシン!」を配信中。
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