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幼少期は父親の仕事も調子が良かった

幼少期は父親の仕事も調子が良かった

2018年6月にバンダイナムコホールディングスの会長を退任した石川祝男氏は、文化の異なるバンダイとナムコの経営統合に誰よりも前向きで、両社の文化融合に尽力しました。石川氏が社員に伝え続けた「元気よく暴走しなさい」というメッセージでした。その石川氏の「仕事人秘録」。第2回では、自らの生い立ちについて語ります。

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1955年4月、死にかけた状態で生まれた

へその緒が首に巻き付いた状態で生まれ、顔色は明らかに悪く、なかなか産声を上げなかったそうです。助産師さんに体をバシバシとたたかれ、母も「もうダメだ」と思ったころにやっと産声を上げました。祖父が「おぉ、生き返った。めでたい。お祝いだ」と命名したのが「祝男(しゅくお)」という名前の由来だと最近になって知りました。

珍しい名前のためすぐに覚えてもらえます。唯一困るのがお葬式の時です。私が出した花が目立つ位置に置かれると、まるで何かのお祝いのように見えてしまいバツが悪いからです。

遊園地のアトラクションに夢中に

年少期から中学までは、山口県岩国市で過ごしました。歩いて30秒の距離に川があり、よく近所の友達と川遊びをしました。

父に広島県の「楽々園」という遊園地に年1~2回は連れて行ってもらい、車の乗り物のアトラクションに夢中になりました。初めてゲーム機に触れたのもこの頃です。隣に住む怖そうなおじさんが、ピンボールのゲーム機を車で運んでいました。近くの米軍基地にあるバーに、メンテナンスしたゲーム機を納品していたのでしょう。何度か遊ばせてもらいました。

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