不穏なる8月の円高 米利下げ、本格化を意識

10年半ぶりの利下げを決めたFRBのパウエル議長=ロイター
10年半ぶりの利下げを決めたFRBのパウエル議長=ロイター

個人投資家が関心を持つ「8月の円高」が今年も進み始めた。今週、円相場は対ドルで約7カ月ぶりの水準に急伸。企業業績の悪化懸念から日本株売りを招いた。円高の背景には、米国が始めた利下げが短期的なものにとどまらず本格化するとの見方がある。米中貿易摩擦の激化など円高をもたらすリスク要因は多い。

「やはり、経験則通り8月は円が買われるな」。今週、円相場が急騰した局面で投資家から出た声だ。円は一時1ドル=105円台半ばを付け、上場企業が想定する為替レートの平均(約109円)を大幅に上回る水準になっている。

確率は70%――。過去20年間について円高・ドル安になった確率を月別に調べると、8月はそうなる。一昨年も昨年も小幅円高となった。夏休み前に日本の輸出企業が為替予約(先物のドル売り)を増やすことなどが背景とされるが、今年はもっと大きな力が働く。

予防狙うFRB

まず米連邦準備理事会(FRB)が7月31日、10年半ぶりとなる政策金利の引き下げを決めた。日米金利差が縮小することで円買い・ドル売りを招きやすい。

もっとも、米利下げ決定の直後、円はいったん109円台に下落した。理由はパウエルFRB議長の発言だ。今回の決定は長期的な本格緩和局面の開始でないという趣旨の説明をし、利下げは短期で終わるとの受け止め方が、円の売り戻しを招いたのだ。

パウエル議長が想定するのは、景気の下振れを未然に防ぐ予防的な利下げ。本当にその程度にとどまるなら、円高圧力が限られる可能性はある。前例もある。「パウエル議長がモデルとして意識しているとみられる」(みずほ証券の上野泰也氏)という1995年7月~96年1月の利下げだ。

グリーンスパン議長の時代、3回の利下げ(合計0.75%)で景気後退入り回避に成功した。まさに予防的利下げ。この局面で円はむしろ下落した(図A)。日本の当局が円売り介入や金融緩和で円高修正に努めたことも背景だ。

だが、今回はパウエル議長のもくろみ通りに行くかに疑問が出てきた。8月に入り米中貿易摩擦が一段と激化してきたためだ。

米トランプ政権は対中関税引き上げの第4弾を発動する方針を表明。人民元安を容認する中国の為替操作国指定も発表した。米中貿易摩擦は通貨戦争に発展する様相も見せている。

既に世界の市場は混乱。米利下げが2020年以降に長引くシナリオが意識されるのは自然で、日米金利差の縮小観測から円は一転して買われやすくなっている。市場が混乱してリスク回避ムードが広がる局面では「安全通貨」と目されている円へのマネー集中も起きやすい。

米緩和が長引いても、日本側に対応余地があれば円高を防げることもある。例えば、ITバブル崩壊後の景気悪化に対処した2001年1月以降の米利下げ。2年以上続いた金利の引き下げは合計5.5%に達したが、円は小幅ながら下落した(図A)。「当時の日銀に金融緩和余地がそれなりにあったことが意味を持った」と日本の有力な当局者は言う。

日銀対応に限界

01年は日銀が量的緩和(日銀当座預金残高を操作目標にする初期の量的緩和)を始めた頃。追加対応の余地があった。だが今の日銀は余力が限られる。誘導対象とする長短の金利ともマイナスにある。米国との緩和競争になれば劣勢になりそうだ(図B)。

そういう意味で、07年秋以降の米緩和局面の再現になるリスクにも注意が必要だ。08年には世界的な金融危機も発生。FRBは金利の引き下げだけでなく量的緩和にも踏み込んだ。日銀は「緩和負け」した印象を与え、11年に円は75円32銭の戦後最高値を付けた。

FRBが今回、そこまでの対応をするかはわからない。ただ、米中貿易摩擦の激化以外にも、世界経済にはリスクが多く、円買いを招きやすい(図C)。イラン情勢の緊張など地政学的リスクも無視できない。英国の欧州連合(EU)からの「合意なき離脱」が現実になれば、グローバル経済を混乱させそうだ。

米経済の減速も始まっている。4~6月期の実質国内総生産(GDP)は前期比年率換算で2.1%増。1~3月期(3.1%増)から落ち込んだ。今後減税効果も薄れる。来年に大統領選挙を控える米政権のFRBへの利下げ要求も強まっている。米緩和局面が「深い」ものになれば、円高圧力も強まりそうだ。

米国が各国の通貨安誘導に監視の目を向ける中、日本がかつてのように思い切った円売り介入をできるかにも疑問が残る。円高が8月だけにとどまらず長引くシナリオも無視しにくい。楽天証券客員アドバイザーの田中泰輔氏は「円が100円に向け上昇する可能性は高い」と見る。円高が続けば株価への悪影響も避けられない。個人投資家も注意を払うべき局面だ。

(編集委員 清水功哉)

[日本経済新聞朝刊2019年8月10日付]