有名な話だ。「昭和の妖怪」とまで言われた岸だが、そこは巧妙でかつ繊細だった。決して失敗しない方法を選ぶ。「あれこそ、まさに官僚出身の岸らしい。岸のやり方」と野口は語った。ど真ん中を正面突破する角栄とはまったく違った。
加えて角栄は開けっ広げだった。この時、野口たち20人の新人と握手を交わしたあとの蔵相としての訓示が、また振るっていた。「諸君の上司にはバカがいるかもしれない。もしバカがいたら、バカなんだから諸君のアイデアを理解できないだろう」。そして、こう続けた。「そんな時は迷わなくていい。遠慮なく大臣室に駆け込んでこい」
能力の高さと胆力に惚れる
これには野口も参ってしまった。ついこの間、大学を卒業したばかりの自分たちを大臣が同格に扱ってくれている……。感激だった。「角栄が大蔵省の官僚の人心を掌握できたのは、金力(きんりょく)だと言われるが決してそうではない。あの能力の高さと胆力に官僚たちは惚(ほ)れたのだ」
野口が入省したのは日本がまだ高度成長のさなかにあった時代。年々、拡大する予算配分権を握る絶頂期の大蔵省は名実ともに最強官庁だった。
「われら富士山、他は並びの山」。そんな時代のエリート官僚たちを掌握するのは一筋縄ではいかなかった。入省早々の新人を前に角栄がうった一芝居だった。
「人たらし」――。角栄はこう言われることが多い。確かにそうだ。人は角栄に魅了される。しかし、そこに技術はない。一人ひとりに誠実に向かい合い、相手を大切に思いやる。「真っすぐに、サシでじっくり向かい合う」。これが角栄というリーダーの人との接し方の基本だった。
(前野雅弥)
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