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今年で生誕101年を迎えた田中角栄。類いまれな突破力から、今なお時代を超えて人を引きつける存在だ。その権力基盤を支えた田中派(木曜クラブ)は最盛期には140人を超え、数の力で永田町の権力闘争を勝ち抜いていった。なぜ角栄は、それほどまでの力を持ち得たのか。側近などの証言をまとめた新刊『田中角栄のふろしき』(日本経済新聞出版社)で紹介されたエピソードから、リーダーに必要な条件を7日間連続で学ぶ。=敬称略

(2)小学校卒が官僚を掌握 人を魅了する田中角栄の決断力 >>

1964年4月。東京大学の工学部応用物理学科を卒業した野口悠紀雄(早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問)は大蔵省(現財務省)に入省した。この年、一緒に入省したのは全部で20人。同期には野田毅(元自治相)、田波耕治(元大蔵次官)、秋山昌広(元防衛次官)、涌井洋治(元大蔵省主計局長)などがいた。20人が大臣室で一列に並ばされ10分ほどたった頃、勢いよくドアをあけ入ってきたのが角栄だった。

凄まじい迫力に圧倒される

もちろん大臣室で待っているのだから、そこに蔵相の角栄が入ってくるのは当たり前のことだ。何の不思議もない。しかし、その迫力の凄(すさ)まじいこと。

コンピューター付きブルドーザー、剛腕政治家――。世間であれこれ言われているのは知っていたが、そのどれもが角栄の一断面しか言い表してはいなかった。まるで人がリンゴの表と裏を同時に見ることができないのに似ていた。

角栄は当時45歳。政治家の頂点を目指し、全力で階段を駆け上がっていく、まるでエネルギーの塊のようで、熱に満ち満ちていた。初対面の風圧は凄まじかった。しかし本当に「度肝を抜かれた」のはその後だった。

新人全員の名をそらんじる

「やあ、秋山くん、ようこそ大蔵省へ。頑張ってくれたまえ」。角栄は入省してきた20人の名前を端から一人ずつ口にしながら順番に握手をし始めたのだった。

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