ダンサー・俳優 大貫勇輔さん 想像超えろ、母の難題
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はダンサー・俳優の大貫勇輔さんだ。
――ダンスはお母さまに習ったそうですね。
「母が神奈川でダンススタジオを経営していて、7歳くらいから自然とジャズで踊るようになりました。でも当時は水泳や剣道、サッカーもやっていましたね」
――ダンサーを志したきっかけは。
「小学2年生のとき、母の運転する車で(神奈川県の)大磯を通りかかりました。後部座席の窓から、燃えるような夕日に照らされた鮮やかな海が見えました。その海が僕に『ダンサーになりなさい』って言ったんです。本当に聞こえたんですよ。今でもはっきり覚えています」
――お母さまはかなり厳しかったとか。
「母子家庭に育った僕にとって、父であり母であり、厳しい師匠です。父のいないさみしさからか、ちょっとやんちゃな時期もありました。僕が他人に迷惑をかけたときは、夜中の3時まで話し込んだり『学校を辞めるか丸刈りにするか選びなさい』と迫られたりしていましたね」
――心に残っている一言はありますか。
「『感謝を忘れるな』『いいダンサーである前に善い人であれ』と常に言っていましたね。それから『本物に触れなさい』って。僕が小学5~6年のとき、マイケル・ジャクソンの来日コンサートに連れて行ってくれました。鳥肌がたつような感覚を今でも覚えています。母が見せてくれたさまざまなものが僕の財産です」
――ダンサーになったことを、お母さまは喜んでいらっしゃるのではないですか。
「でも芸能事務所に入ることには大反対でした。僕はホリプロでダンス以外のいろんな分野にチャレンジしようとしたのですが、母はダンスだけに集中してほしかったようです。母の知り合いのダンサーが挑戦して、あまりいい結果が出なかったみたいです。話し合いは平行線で、最終的には『3年間は好きにやる。絶対に認めさせてやる』と一方的に宣言しました」
――お母さまは舞台をよくご覧になるのですか。
「いつも見に来てくれています。昨年のミュージカル『メリー・ポピンズ』では大きな役をいただいたのですが、見終わった後に『感動した。あなたは表現者として私を超えた』と言ってくれました。めちゃくちゃうれしかったですね。やっと母に認められた気がしました」
――1つの目標を達成したということですね。
「でも今度は『私の想像を超えろ』と言うんです。年に1回、母のダンススタジオで一緒に踊るんですが、今でも『ダンスの仕事をもっとやりなさい』と言われますし、ダンスについての注文も多いです。母の希望をすべてクリアできるよう、もっともっとレベルアップしたいですね」
[日本経済新聞夕刊2019年8月20日付]
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