俳優・北村有起哉さん 父の当たり役、演じる幸せ
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は俳優の北村有起哉(ゆきや)さんだ。
――7月の舞台「怪談 牡丹(ぼたん)燈籠」で、お父さまである故・北村和夫さんの当たり役だった伴蔵役を演じました。
「役者は与えられた役を演じるなかで、世間から評価され、自分でも評価できる当たり役に巡り合うことがあります。『それが一つでもあれば役者は幸せだ』と、おやじに聞かされていました」
「おやじには生涯で当たり役を演じた3つの作品がありました。『怪談 牡丹燈籠』『欲望という名の電車』『花咲くチェリー』で、それぞれ200回以上上演しています。ぼくは2007年、欲望という名の電車にスタンリー役で出演しました。父は芝居を見ずにその年他界しましたが、歌舞伎役者ならともかく、普通の役者の息子が父親の当たり役をするのは珍しく、不思議な因縁を感じました」
「今回、さらに牡丹燈籠を演じることになるとは全く予想していませんでした。おやじをよく知る人から、声もしぐさも似ていると言われました。楽屋もおやじが使った部屋と同じだったことに、おふくろが感激していました」
――お父さまの芝居はよく見にいったのですか。
「小中学生のころは、おふくろによく連れていってもらいました」
「ただ、おやじはぼくを役者にはしたくなかったようです。名前を寺の住職に考えてもらうときに『芸能界とは無縁の名前にしてくれ』と注文をつけたそうです。実力がなければ生きていけない厳しい世界。おやじは息子に同じ道を歩ませたくなかったのでしょう。ぼくも4歳の長男にはやらせたくありません」
――それでも、役者になってしまった。
「高校2年のとき、文化祭でジャッキー・チェンの芝居をしました。師匠の役で出演するだけでなく、脚本、演出、キャスティングも担当。仲間と作品を作る面白さを知りました。高校3年では『仁義なき戦い』を舞台化。仲間にも評価され、『この世界、向いている』と勘違いして、演劇の道を志しました」
「役者になったことを、おやじはいいとも悪いとも言いませんでした。おやじが看板役者だった文学座に入る話も夫婦でしたらしいのですが、おふくろが『有起哉がダメになる』と強く反対したと後に聞きました。伸び伸びやることがぼくの個性と知っていたのでしょう」
「おやじはぼくの芝居を必ず見にきてくれましたが、ダメ出しすることもなく、芝居の話はほとんどしませんでした。でも一度だけ、相手役の女性とそりが合わないことをおやじに相談しました。すると大笑いして、『それは俺もわからない』と言いました。悩むべきときは悩む。そういうことには一生付き合わなければならないと教えられたと思いました」
[日本経済新聞夕刊2019年8月6日付]
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