2019/8/4

トルコもしくは地中海東岸のレバント地方から農耕が伝わったことは、以前からわかっていた。だが、同じ地域から農耕民も流入したのだろうか。農耕を含む一連の新技術は、移住者が欧州へ持ち込んだのではなく、交易や口承で伝えられたのだと、考古学者たちは長年考えていた。

ところが、ボンジュクル遺跡で出土した人骨のDNA解析により、移住者の役割がかなり大きかったことがわかってきた。ボンジュクルの農耕民は死者を身近な場所に埋葬する習慣があり、住居の床下に埋めた。ベアードは2014年以降、十数カ所で出土した頭蓋骨の破片と歯のDNAサンプルを複数の研究所に送り、解析を依頼してきた。

ボンジュクル遺跡で出土した錐体骨は大きな成果をもたらした。そのDNAを解析した結果、何百キロも北西に離れた場所で、何世紀も後の時代に生きた農耕民と血縁関係があることが判明したのだ。つまり、初期のアナトリア地方の農耕民は欧州に移住して、その遺伝子と生活様式を広めたということだ。

彼らの子孫は何世紀もかけてドナウ川に沿って移動し、ヨーロッパ大陸の中央部まで進んだ。それとは別に、南ヨーロッパ全域に広がった人々もいた。彼らは地中海沿岸を船で進みながら島々に上陸し、遠くはヨーロッパ大陸の西端、ポルトガルまで到達した。ボンジュクルから現在の英国にかけた地域では、農耕が始まったのと同じ時代から、アナトリア地方の人々の遺伝子が出現している。

こうして欧州に新石器文化をもたらした農耕民の多くは、肌の色が明るく、褐色の目をしていた。それは、先にこの地で暮らしていた狩猟採集民とは正反対の特徴だ。「外見も言葉も、食生活も違ったのです。二つの集団はおおむね別々に暮らしていました」と、考古学者のデビッド・アンソニーは語る。

互いの道具や伝統を取り入れた痕跡はほとんど残っていない。アンソニーはこう語る。「接触があったことは確かですが、男女の交流はなかったようです。人類学の常識とは裏腹に、異なる集団のメンバーがセックスをすることはなかったのです」。言い換えれば、よそ者に対する警戒心は大昔からあったということだ。

およそ5400年前、ヨーロッパ全域で新石器文化の集落が一挙に衰退、あるいは消滅した。その原因はいったい何だったのか、考古学者たちは何十年も頭を悩ませてきた。「人工物やその材料、人骨、遺跡。何もかもが減りました。何か大きな出来事があったと考えなければ、説明のつかない事態です」と、クラウゼは言う。だが、大規模な紛争や戦乱が起こった形跡は見つかっていない。

それから500年ほど経ち、人口は再び増え始めたようだが、何かが決定的に変わってしまった。ヨーロッパ南東部では、住民を分け隔てなく埋葬した共同墓地が姿を消し、代わりに成人男性を一人だけ葬り、大規模な盛り土をした墓が現れたのだ。この時期、もっと北のロシアからライン川にかけた地域では、縄目模様のある土器にちなんで縄目文土器文化と呼ばれる新しい文化が花開いていた。

(文 アンドリュー・カリー、写真 レミ・ベナリ、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック日本版 2019年8月号の記事を再構成]

[参考]要約して紹介した「ヨーロッパ人はどこから来たか?」は、人類の移動をレポートしたナショナル ジオグラフィック日本版8月号「移動する人類」の特集の1つです。「移動する人類」では、ピュリッツァー賞を受賞したポール・サロペックの「移民とともに地球を歩く」、「スペインのアフリカ移民」、米国境に位置するメキシコの「人生が交差する国境の街」も収録しています。ツンドラに生息するイタチ科の肉食動物「クズリ」などを掲載しています。

ナショナル ジオグラフィック日本版 2019年8月号

著者 : 日経ナショナルジオグラフィック
出版 : 日経ナショナルジオグラフィック社
価格 : 1,110円 (税込み)