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実は先史時代から人種のるつぼ 欧州人のルーツを探る

日経ナショナル ジオグラフィック社

2019/8/4

ナショナルジオグラフィック日本版

イタリアのサルディーニャ島にあるオッターナ村で謝肉祭が開かれ、仮面を着けた村人が練り歩く。人間が動物の主人であることを示すこうした風習は、牧畜が始まった時代から受け継がれてきた(PHOTOGRAPH BY Andrew Curry)

先史時代の人々の遺骨から採取したDNAの解析により、欧州は大昔から人種のるつぼだったことがわかってきた。ナショナル ジオグラフィック2019年8月号では、人類と移動についての特集の中で、最新研究を紹介しながらヨーロッパ人がどのように誕生したかをレポートしている。そのルーツは、アフリカや中東、ロシアの草原地帯と、想像以上に広がっている。

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「(欧州には)先住民などいません。自分たちの純粋なルーツを見いだそうとしても、そうした概念が無意味であることに気づかされるはずです」。こう話すのは、古遺伝学者のデビッド・ライヒだ。

今から32年前、現代人のDNA解析からある事実が判明した。現在アフリカ以外の地域に住む人々はすべて、6万年以上前にアフリカ大陸を出た現生人類(ホモ・サピエンス)の子孫であるということだ。アフリカを出たホモ・サピエンスの集団は、中東から北西に進み、およそ4万5000年前に初めてヨーロッパ大陸に進出した。

当時の欧州は、人を寄せつけない過酷な土地だった。大陸の一部は厚さが何キロもある氷床で覆われていた。比較的温暖な土地には、野生動物が生息し、先住者であるネアンデルタール人がいた。彼らの祖先は、ホモ・サピエンスより何十万年も前にアフリカを出て各地に広がり、過酷な環境に適応していたのだ。

ヨーロッパに渡った最初のホモ・サピエンスは、小さな集団を形成し、狩猟採集をしながら移動生活を送っていた。彼らはドナウ川に沿って移動を続け、ヨーロッパの西部と中央部の奥地まで到達したが、数千年もの間、ほとんど移住地に影響を与えなかった。

DNA解析により、彼らとネアンデルタール人が交雑していたことがわかっている。ネアンデルタール人はホモ・サピエンスの進出後、5000年足らずで絶滅したが、現在の平均的な欧州人は、ネアンデルタール人のDNAを約2%受け継いでいる。

欧州の大半の地域が氷に閉ざされると、ホモ・サピエンスは凍結していない南部にとどまりながら、寒冷な気候に適応していった。約2万7000年前、彼らの人口は1000人ほどだったようだ。大型の哺乳類を捕らえて食べ、住居にしていた洞窟に獲物の動物を生き生きと描き、彫刻を残した。

およそ1万4500年前、気温が上がり始めると、人々は後退する氷河を追うように北上していく。その後の数千年間で、より高度な石器を作り、小さな集落を形成して定住するようになった。中石器時代と呼ばれる時代だ。

1960年代にセルビアの考古学チームが、ドナウ川の湾曲部にある急な斜面で中石器時代の漁村の遺跡を発見した。レペンスキ・ビールと呼ばれるこの遺跡は、およそ9000年前に生まれた、人口100人ほどの手の込んだつくりの集落跡だ。

ここで出土した人骨から、住民たちは魚を主な栄養源としていたことがわかった。「魚が食べ物の7割を占めていました」と、遺跡の管理責任者を務めるフラジミール・ノイコビッチは言う。「村人たちは約2000年間、ここで暮らしていましたが、後に流入してきた農耕民に追いやられたのです」

現代のトルコの穀倉地帯であるアナトリア地方中部のコンヤ平原。考古学者のダグラス・ベアードによると、ここには人類が農耕を始めた頃から農耕民がいたという。彼はここで、ボンジュクルと呼ばれる先史時代の集落の発掘調査を行ってきた。今からおよそ1万300年前、新石器時代が幕を開けた頃、人々はこの一帯で小麦の古代品種の栽培を始めた。

人々が農耕と牧畜を始め、定住生活へと移行した「新石器革命」は、1000年足らずでアナトリア地方から北へ広がり、欧州南東部まで伝わった。そして約6000年前までには、欧州全域で農耕と牧畜が行われるようになっていった。

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