宇宙船並みの設備を搭載した熱気球「ブライトリング・オービター3」で1999年、気球による無着陸世界一周に初めて成功したスイスの探検家、ベルトラン・ピカール氏(61)。祖父オーギュスト・ピカールは気球で初めて成層圏に到達、気球の原理を応用した深海探査艇「バチスカーフ」を発明したことで知られ、父ジャック・ピカールはそのバチスカーフで世界最深のマリアナ海溝へ潜水したことで知られる。無着陸世界一周から20周年を迎えたピカール氏に探検への思いを聞いた。
――無着陸世界一周から20周年を迎えました。そもそもの発端を教えてください。
「1992年、気球による大西洋横断コンテストに際して、チームのスポンサーを探していたときのことです。スイスの高級時計ブランド「ブライトリング」のオーナーに支援を依頼する電話をかけたところ、その日が偶然にも彼の誕生日でした。『きょうは非常に気分が良い。請け負いましょう』と快諾してもらいました」
「幸いにもコンテストでは優勝することができました。するとオーナーから『せっかく優勝したのだから、ほかにもアイデアがあるのなら手伝おう』との申し出をいただきました。そこで計画していた気球による世界一周への支援をお願いしました。これが『ブライトリング・オービター』プロジェクトの始まりです。結局、2回失敗してようやく3回目に成功することができました。私の2回の失敗を忍耐強く我慢していただいたことに非常に感謝しています」
「その後もブライトリングとの友好関係が続き、私が設立した人道支援のための『ウインズ・オブ・ホープ基金』をサポートしてもらっています。現在は太陽光を動力源とするソーサラープレーン『ソーラー・インパルス』のプロジェクト(2016年、ピカール氏が操縦士となり世界一周を達成)についても支援していただいたいます」