企業から弁護士に転職、経験生かし自信 高沢靖子さん
三菱自動車執行役員(折れないキャリア)
大企業から弁護士への転身と言えば華やかなキャリアアップをイメージするが、「ずっと自分に自信がなかった」と振り返る。
入社した新日本製鉄(現日本製鉄)は"超"優秀な人ばかり。女性社員はほとんどおらず「みんな扱いに困っているようだった」。結婚・出産してからは会社でも保育園でも、どこに行っても「すみません」と頭を下げる毎日。母は子育てを手伝ってくれたが、父が倒れたことで介護に忙しくなった。「何の憂いもなく仕事に没頭できる男性と同じようには働けない」と感じた。
代わって子どもの頃に憧れた弁護士への夢が膨らんだ。日本でロースクールが導入された時期でもあり、「人生で一度くらい死ぬほど勉強してみたい」と受験。転職には躊躇(ちゅうちょ)もあったが東大に合格した際、夫の「行ってみたら」という一言に背中を押された。40歳の時だ。
勉強は面白かった。「法学部の学生だった頃は概念でしか分からなかったが、『こういう判例の積み重ねでできている仕組みなんだ』と、これまでの仕事が整理されて分かった」。経験に基づいて勉強すると理解の度合いが違う。成績もぐんぐん伸びた。
ところが司法試験を終え、60以上の事務所に履歴書を送ったものの全く相手にされない。若い同級生は大手から内定をもらっているのに。自分を全否定されたようで「人生で最も落ち込んだ」という。
立ち直るには一生懸命働くしかない。なんとか入った事務所で働き始めると、これまでのキャリアが生きてきた。新日鉄で法務担当だったとき、契約書は何度も書いたことがある。訴訟の方向性も決めてきたので、クライアントの望む提案ができる。徐々に認められるようになった。
弁護士として5年働いた後、やはり会社でプレーヤーとして働きたいと3度目の就活に動く。学生時代からものづくりへの関心が高く、今回もメーカーに絞って応募。今度はどこからも歓迎された。「自分でも役に立てることがあるんじゃないかと初めて自信がもてた」
入社後は燃費不正問題への対応や日産自動車との資本業務提携など難題続き。だが「いつかガバナンスの手本のような、信頼される会社にしたい」と話す。
(聞き手は中村奈都子)
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