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松山油脂の松山剛己社長は雑誌社編集部のような組織づくりを模索している

松山油脂の松山剛己社長は雑誌社編集部のような組織づくりを模索している

博報堂、三菱商事を経て、せっけんなどを手がける家業の松山油脂(東京・墨田)に入社した松山剛己社長。入社翌年の95年に自社ブランドを立ち上げた際には、たった一人で営業に駆け回った。キャリアの原点は意外にも、学生時代のアルバイト経験にあったという。

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――松山油脂に入社した翌年の1995年、自社ブランド「Mマークシリーズ」を立ち上げました。

「当時は私しか営業する人間がいませんでしたから、『ロフト』『東急ハンズ』『ナチュラルハウス』の3店に絞って営業をかけました。社内の仕事をこなしながら、週に1回だけスーツを着て、車に製品を積んで提案に行きました。最初はフロアにいるスタッフの方と仲良くなり、それをきっかけに担当のバイヤーさんを紹介してもらい、だんだんと製品を扱っていただけるようになりました」

「ちょっとしたメモを二つ折りにして、サンプル製品と一緒に販売員さんに渡していました。メモに書いたのは、使ってみたくなるコメント。例えば、『せっけんには枠練りせっけんと機械練りせっけんがあります、これは枠練りの透明せっけんです』『保湿成分が含まれているのでつっぱりません』『このせっけんは体だけではなく、顔も洗えるんですよ』など。販売店の方はパッケージに書いていない、行間の情報が欲しいわけです。ですから、なるべくそれをメモにして、サンプルと一緒にお渡しするようにしていました」

「それと当時、私がよくお願いしていたのは、ぜひ一度、工場に来てくださいということ。私が案内しますから、と。工場に来ていただいて、見学が終わった後、会議室でアイデアをいただいちゃうんです。『どういうせっけんをつくれば売れますか』『どういうパッケージだったら売れますか』と聞いていく。そのような会話を通じ、これからは環境やアトピー対策が重要なキーワードになっていくということが、だんだんと把握できるようになりました」

――そもそも、新卒でなぜ博報堂に入ったのですか。

「広告会社を強く希望していたわけじゃないんです。就職活動が嫌になり、一人旅をしていたので、気づいた頃にはほとんどの採用が終わっていました。残っていたのがマスコミと広告会社。フジテレビ、TBS、電通、博報堂と4社受けて、フジテレビと博報堂だけ受かりました」

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