フリーアナから出産契機に起業 決断支えた神戸女学院堤香苗キャリア・マム社長(下)

高校生の頃、私は一つだけ両親に言えずにいたことがありました。女優になりたいと思うようになったことです。家計に余裕もないなか、学費が比較的高かった女学院で学ばせてくれた両親に、将来の保証もない役者になりたいとは、やはり言い出せませんでした。

高校時代、女学院校庭の藤棚の下で

そこへ、早大第一文学部から学校推薦のオファーが来たのです。国語の先生は私が演劇に興味をもっていることを知っていました。その頃には父が千葉で単身赴任していたことや、早稲田には演劇の伝統があることから、先生が「学校推薦で早稲田を受けてみたら? 演劇の勉強ができるわよ」と勧めてくださいました。内部進学するつもりだったので、そこから大慌てで勉強して、早大に進学しました。

キリスト教主義で、ヴォーリズ建築のキャンパスが美しい神戸女学院から、校舎はぼろぼろでバンカラの代表選手みたいな早稲田へ。いろいろな意味でカルチャーが全く違う世界を知り衝撃を受けましたが、バランスをとる経験にもなりました。

早稲田では演劇をやりたかったので、入学早々にいくつもある演劇サークルの門をたたいた。

しかし、ことごとく「悪いことは言わないからやめといたほうがいい。授業に出なくなって単位を落とすから」と言われました。私が指定校推薦で入学したため、単位を落とすと翌年度から指定校から外されてしまうのです。学校推薦をもらうために尽力してくれた担任の先生の顔がよぎりましたね。それで、演劇サークルはあきらめましたが、2年生からは演劇を専攻しました。

演劇サークルには入らないと決めたので、同級生に誘われるままにアナウンス研究会に入りました。1年生のときからイベントコンパニオンや司会、テレビやラジオなどの番組に呼んでもらえるようになり、卒業後も含めるとアナウンサー業は15年も続けました。古舘伊知郎さんや、コント赤信号の渡辺正行さん、米米クラブなど、芸能界の第一線で活躍する人たちと一緒に番組をやって、話す力は鍛えられました。現在、各地で講演に呼んでいただくときにも、非常に役に立っています。

一方で、女優になりたいという気持ちはまったく消えていませんでした。だから、大学4年になっても就職活動さえせず、文学座研究所の入所試験を受けたのです。無謀な選択なのに、両親は何も言いませんでした。私は一人っ子なのですが、両親は私の決めたことに一切口を挟むことがなかった。最近他界した父は「大丈夫だよ。香苗がちゃんと自分で考えた道だから」と、いつも母に言っていたそうです。

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