「アフリカ以外で最古の現生人類発見」に異論百出
先日、ギリシャ南部の洞窟で見つかった頭骨が、21万年以上前の現生人類(ホモ・サピエンス)のものであるとする論文が発表されて話題になった。アフリカ大陸以外で発見されたものとしては、最古の骨だ。この論文は2019年7月10日付で学術誌「ネイチャー」に掲載された。
これがもし確実なら、現代人と解剖学的に同じ人々が、最初にアフリカを出た経緯を解明する手がかりになるだろう。しかし、新たな証拠の信頼性に疑問を持つ専門家もいる。
「この頭骨がサピエンスの系統に属していると示すものを、私は何1つ見つけられません」と話すのは、スペイン、マドリード大学の古人類学者フアン・ルイス・アルスアガ氏だ。アルスアガ氏は、17年にこの洞窟の近くにあった別の頭骨を分析した結果、全てネアンデルタール人のもので、少なくとも16万年前のものである可能性が高いと結論付けた。
「心の底から驚きました」。最新の論文について、アルスアガ氏はそう語った。
古い発見に最新の技術を応用
問題の頭骨が発見されたのは、1970年代後半だった。場所はギリシャ、ペロポネソス半島のアレオポリという町の外にあるアピディマ洞窟である。その壁から、2つの頭骨の一部が突き出ている状態で見つかったため、それぞれ「アピディマ1」「アピディマ2」と名付けられた。
ところが、化石を分析しようとしたところ、いくつかの問題にぶち当たった。まず、頭骨が岩に閉じ込められていたのだ。1900年代後半と2000年代前半になって、それぞれの破片を取り出せたものの、正体は依然として不明のままだった。
第1の頭骨のアピディマ1は、ほぼ完全な状態だったが、長いこと岩に閉じ込められていたために歪んでしまっていた。過去の分析では、ネアンデルタール人のものと結論付けられていた。これには、最新の論文も同意している。
一方、第2の頭骨は、大人の手のひらより少しだけ大きな破片がたった1個だけで、第1の頭骨と同じ岩の中に数センチだけ離れて閉じ込められていた。そのため、アピディマ1と同じ種であり、同じ時代のものだと当初考えられていた。
ギリシャ、アテネ大学人類学博物館の科学者らは、ドイツ、エバーハルト・カール大学テュービンゲン校のカテリーナ・ハーバティ氏にこの化石の分析に興味はないかと打診した。ハーバティ氏は、最新技術を化石の分析に応用できる機会であると考え、快諾した。氏は、今回の論文の筆頭著者だ。
ハーバティ氏の研究チームは化石をCTスキャンにかけ、先入観を避けるために、2人の研究員がそれぞれ異なる手順に従ってコンピューター上で頭骨を復元した。そして、それらを既知のホモ・サピエンスやネアンデルタール人の頭骨、そして、種は特定されていないがユーラシア大陸とアフリカ大陸で発見された、およそ78万~12万5000年前の更新世中期の頭骨と比較してみた。
驚きの発見が続々
すると、1つめの驚くべき発見があった。小さな破片の方は後頭部で、現生人類にそっくりだったのだ。
これほど大胆な結論を導くのに、この破片は証拠として小さすぎるように思える。だが、後頭部にはホモ・サピエンスを他のヒト族(ホミニン)とを区別する特徴がいくつも含まれている。米ニューヨーク市立大学の古人類学者エリック・デルソン氏は、あごの骨と同じくらい後頭部は特徴的だと語る。デルソン氏は研究チームの一員ではないが、論文に関して「ネイチャー」誌の「ニュース・アンド・ビューズ」欄に記事を執筆した。
まず、形が違う。あなたも自分の後頭部に手を置いてみると、グレープフルーツほどの丸みを帯びているのがわかるだろう。だが、ネアンデルタール人の後頭部は引き伸ばされたように細長い「シニョン」と呼ばれる特徴的なふくらみを持つ。アピディマの破片にはこれがなかった。
この時点で、研究チームは分析結果を発表しようと論文を提出したが、却下されてしまう。
研究者たちはその時、2つの化石があまりに近くで発見されたために、どちらも同じ16万年前のものと思い込んでいた。しかし、ネアンデルタール人と現生人類がこれほど至近距離で同時に存在するようになるのは6万年前以降と考えられている。それ以前に両者が共存していたことを示す物的証拠は見つかっていない。したがって、ネアンデルタール人の化石のすぐそばにあった化石が現生人類のものであるという結論に、査読者は「当然ながら懐疑的だった」と、論文の著者で大英自然史博物館のクリス・ストリンガー氏は言う。
そこでチームはさらに分析を重ね、破片の年代を測定したところ、2つめの驚きが待っていた。小さな破片は21万年前のものという結果が出たのだ。
もしこれが裏付けられれば、頭骨は知られている限りアフリカ大陸以外で最古の現生人類のものとなる。これまでで最古のものは、イスラエルで発見された上顎骨の一部で、18万年前のものと測定されている。また、ヨーロッパで過去に発見された最古のホモ・サピエンスより15万年以上も古い。
教科書を書き換えるのはまだ早い?
この研究が正しければ、現生人類がアフリカを出たのはこれまで考えられていたよりもはるかに早かったことになる。つい最近まで、人類は長くアフリカに留まり、現代人につながるホモ・サピエンスの集団が大陸を出たのはほんの6万年前と考えられていた。
しかし、中国の中央部では210万年前の石器が見つかっており、人類と近縁の何者かが既にそこに住んでいたことを示唆している。また、小型人類のホモ・フローレシエンシスは70万年前には東南アジアの島に到達していた。そして、ネアンデルタール人の祖先もまた50万年前にはヨーロッパへ到達し、40万年前にデニソワ人と分岐したとされている。
現生人類はこれまで考えられていたよりもはるかに早い時期に北方への移動を始めていた。今回の発見がそれを示しているとハーバティ氏は主張するが、一方で、教科書を書き換えるのはまだ早いと考える研究者も多い。
「そう主張するには、顔の骨が必要です」と、アルスアガ氏は言う。
14年、アルスアガ氏のチームはスペインの洞窟シマ・デ・ロス・ウエソス(「骨の採掘坑」という意味)で発見された43万年前の頭骨を分析し、顔はネアンデルタール人だが、ネアンデルタール人に特徴的な細長い後頭部はなかったと発表した。おそらく、アピディマの頭骨も同様に、初期のネアンデルタール人だったのではないかと、アルスアガ氏は考えている。今回の論文の著者らもその可能性は認めているものの、アピディマの化石はシマ・デ・ロス・ウエソスの頭骨や同じ年代の他のネアンデルタール人の骨とも違うと記している。
「議論を呼ぶ新発見があれば、自分が関わっている研究だとしても、まずは健全な疑いの目を向けるべきです」と論文の著者の1人であるストリンガー氏は述べる。「この化石には前頭部、眉弓、顔、歯、あごの領域の骨がありません。そのどれかが『現代的』な形状ではない可能性はあります」。とはいえ、研究チームは不確定要素をできるだけ排除する様々な手段を講じたと、ストリンガー氏は強調する。
「復元とは、科学と芸術の出会い」
「復元とは、科学と芸術の出会いと言えます」と、米ノースカロライナ州立大学の生物人類学者クリストファー・ウォーカー氏も話す。このような分析は、研究者の抱く期待や、比較に使われるモデルの頭骨に影響されてしまうこともあるが、研究チームは細かい部分まで徹底して分析を行ったという。そのうえで、破片にはホモ・サピエンスを思わせる特徴がいくつも含まれていたと、ウォーカー氏は指摘する。
しかし、バークレー地質年代学センターのウォーレン・シャープ氏は小さな破片の古い年代には同意できず、結論を出すのに使用されたデータは「不正確でまとまりがない」とコメントした。また、次に最古とされるイスラエルで見つかったホモ・サピエンスの年代にしても、7万年よりも古いということはないはずだとしている。
21万年前にホモ・サピエンスがギリシャまで到達していたとしても、長くはそこに留まらなかったようだ。彼らは、現代の人類に遺伝的痕跡を残すことなく姿を消した可能性が高いが、ネアンデルタール人がもつホモ・サピエンスのものに近いDNAのなかに手がかりを残しているかもしれない。ネアンデルタール人と現生人類の間に異種交配があったことは、既に研究で知られている。
アピディマの化石は、ネアンデルタール人と出会って交配した集団に属していたのではないかと、ハーバティ氏は考えている。だが、もっと多くの証拠がない限り、この集団がどの程度広く分布していたのか、どれほど長く生きていたのかはわからない。
「いまは簡単なスナップ写真が1枚あるだけです」とデルソン氏は言う。「つまり、他を探す価値が明らかにあるということです」
(文 Maya Wei-Haas、訳 ルーバー荒井ハンナ、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック ニュース 2019年7月20日付]
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