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三国志流・組織が勝ち残る人事 有能なら人間性は不問 『人事の三国志』著者 渡辺義浩氏

2019/7/29

劉備三兄弟と諸葛孔明=PIXTA

 天才軍師の諸葛亮孔明や劉備、曹操らが活躍する中国・三国志の世界は、日本で人気が高い。英雄・豪傑が知謀と武勇を駆使した戦場シーンに目を奪われがちだが、魏・蜀・呉の優劣を分けたのは地道な人脈づくりと人材登用だったという。三国時代研究の第一人者で『人事の三国志』(朝日新聞出版)を出版した渡辺義浩・早稲田大文学院教授に聞いた。

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■唯才主義を掲げた曹操

「人事の三国志」・著者の渡辺義浩・早稲田大文学学術院教授

  ――日本のビジネスでも人脈は大切ですが、重要性においては中国にはるかに及ばないと説いています。

「現代でも各地に10種類の主な方言があり、発音の違いは英語とドイツ語よりも隔たっていると言われます。それだけ地縁・血縁は一生を左右します。中国の基本は今も昔も人間関係なのです」

「さらに三国時代は君臣間における情義、儒教を基本としつつ各種の教義を発展させた学閥、上司と部下が結びつく故吏(こり)関係も、大事な人脈作りのツールでした。さらに名声も必要でした。曹操らはこれらを活用して『名士』と呼ぶ後漢のエリート層を獲得していきました」

――日本の明治国家建設でも旧幕臣が大きく貢献したように、国造りに前時代のエリート層は欠かせませんね。漢は前後400年続いたから国教の儒教を基本にしたエリート教育も盛んでした。

「まだ科挙制度は成立していません。後漢のエリート中のエリートである官僚の選抜は各地の『郷挙里選』と呼ぶ推薦制です。大土地を所有する豪族であっても、さらに儒教に従って金銭に清潔などの評判を得て名士となることが必要でした。経済力を文化資本に転化したのです。乱世でも地元から離れられない土地所有に比べて、身に付けた文化に対し与えられる名声という資本は、維持も移動も容易です。諸葛亮孔明は代表的な名士のひとりです。名士同士は横のつながりも強く、3国に分かれても交流がありました」

――曹操と劉備、呉の孫権の3者が、乱世での生き残るため、人材発掘に走り回った軌跡を詳細に分析しています。

「曹操は唯才主義を掲げました。儒教精神からは離れますが、有能であるなら人間性に問題があっても不問にしたのです。曹操が一時降伏した関羽を自分の武将として活用したエピソードはよく知られています。敵方の参謀も自分の陣営で重用しました」

「曹操の特徴は地盤の中国北部だけでなく、全土から人材を招いたことでしょう。格上の人物は擁立していた献帝の名で招請しました」

「曹操には、儒教に代わる新しい社会思想を樹立しようという強い意志がありました。人材登用に作詩の科目(かもく)を導入したのが一例です。ただ後継者の曹丕らは唯才主義と儒教との妥協に向かいます。進めていた改革を途中で妥協・放棄すると、体制自体の弱体化につながります。魏が後に晋にとって代わられた原因のひとつです」

――呉は長江流域の地方政権の色彩が強いですね。

「呉は中華統一が目的ではなく、地元での自立を目指す政権でした。華中・華東など北方からも張昭らのエリートを招きましたが、地元出身の腹心や将軍を重視しています」

「有名な赤壁の戦いの前に、孫権に曹操への降伏論を唱えたのは、北方からのエリート層が中心でした。逆に主戦論者は地元の名家出身でナンバー2の周瑜らでした。赤壁の戦いは周瑜の主導で始まり周瑜の指揮で大勝しました」

「張昭は高い名声を持つエリートでしたが孫権から『君の言う通りにしていたら今ごろ他人に食事を恵んでもらっていただろう』とからかわれています。文官の最高位にあたる丞(じょう)相にもなれませんでした」

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