新たな道探し続けて友達1000人超 ルネサンス斎藤会長
フィットネスクラブ大手のルネサンス。会長の斎藤敏一氏は京都大学工学部を卒業後、スイス連邦工科大学に留学した大日本インキ化学工業(現DIC)のエリート技術者だった。しかし、社内で同好会などを次々に発足させ、1979年にルネサンスの前身の会社を起業した。現在は自治体や企業等での健康づくり事業、介護リハビリ事業まで手掛け、「働きがいのある会社」のランキングに7年連続でランク入りする。「後期高齢者の仲間入りした」と笑う75歳の斎藤氏。充実したシニアライフをおくる起業家の軌跡を追った。
エリート技術者、スポーツクラブを経営
「我々は『口式テニス』なんですよ。仲間は80歳から若くても60代だから、おしゃべりを楽しみながらテニスをやる。だから硬式ではなくて口式です」。今も毎週日曜日はテニスコートに立つ斎藤氏。月2度はジムで汗を流し、社用車はなく、とにかく歩く。スマートフォンを使いこなし、自らコピーをとるなど雑務も1人でこなす。「経営者としても運が良くて恵まれていた。ストレスを感じたことはあまりない」とほほ笑むが、起業家としての人生は紆余(うよ)曲折があった。
もともと斎藤氏は東北の名門高校、仙台二高から京大に進学して有機化学を専攻、DICでは海外留学生第一号として将来を嘱望された化学者だった。スイス連邦工科大は物理学者アインシュタインも学び、現在まででノーベル賞受賞者が21人という欧州屈指の名門校だ。
なぜ、化学者の道からスポーツクラブの経営者に転じたのか。
「欧州留学がきっかけ。かれらは仕事ばかりではなく、余暇も楽しむ。ランチにも2時間かける。イタリアのフィレンツェ出身の友人と冬休みにレオナルド・ダ・ヴィンチなど巨匠の作品を見て回ったが、衝撃を受けた。画家や彫刻家だけではなく、科学者としても知られている。『ルネサンス』という言葉が心に響いた。私も単なる『化学屋』ではダメだ。多彩で豊かな人生を送らないといけない」と感じたという。
しかし、当時の日本はモーレツサラリーマン時代。帰国後、斎藤氏も研究所で働きながら、度々徹夜する日々が続いた。残業や土日勤務は当たり前、でも、留学時代に経験した勤務時間内に仕事を終え、自由な時間を大切にする欧州のライフスタイルは忘れられない。休日ぐらいは余暇に使おうと考えていたときにテニスと出会い、社内サークルを立ち上げた。落語同好会も発足させて、「遊び亭一生」と名乗り活動を始めた。
落語同好会が発展する形でカルチャースクールを手がけた。首都圏でも7~8カ所まで増えたが、「もちろん本業はしっかりやっていたが、今風に言えば、副業みたいなものかな」(斎藤氏)。73年に石油危機が襲い、低成長時代を迎える一方、団塊の世代が台頭してレクリエーションという概念も浸透してきた。「団塊の世代の3年ほど先輩なので、私が興味を持つことが流行する傾向にあった」と分析する。
バブル崩壊後、スポーツクラブにシニア呼び込む
DICは「川上」分野から、消費者に近い「川下」に事業分野を広げようとした時期だった。新規事業案としてテニススクールを提案すると、会社はゴーサインを出した。同社が独自開発したウレタン樹脂はテニスコートやスポーツシューズの原料としても活用される。スポーツ事業はPR効果があると判断されたからだ。79年に千葉県の幕張にインドアテニスコートを開設。テニスを基点にスイミングスクールやトレーニングジムなども次々に設置し、総合型フィットネスクラブに変身させた。
「当時は大企業がスポーツ事業をやるなんて珍しかったこともあるが、私が講演すると、様々な企業関係者が聴きに来てくれた」と話す。工場の遊休地の活用が課題に上がっていた時期で、「うちがスポーツ施設を建てるので企画・運営はお願いできないか」という問い合わせが次々舞い込んだ。ハードは相手方の企業が提供し、ルネサンスがソフト・サービスを手がけるモデルが生まれ、その後直営に切り替え事業は飛躍した。
しかし、90年代初頭にバブル経済が崩壊。20代など若年層が中心の顧客だったスポーツクラブも、新たな市場開拓に迫られた。斎藤氏が目をつけたのはシニア層。高齢化社会の到来で、健康寿命の維持に関心が集まった。94年、ルネサンスの会員の50代以上の比率は11.5%しかなかった。そこでシニアに優しい施設づくりを進めた。プールにはハシゴで上り下りするだけではなく、階段をつけるなど細かな配慮をした。その後、病気予防の観点からもシニア層のスポーツクラブ需要が高まり、2018年の同比率は52.1%と過半数となった。
06年には東証1部に上場した。他の企業の施設の買収や合併も繰り返し、会社の成長を引っ張った。施設は全国に160以上に上り、ベトナムなどアジアでも展開している。IT(情報技術)の活用にも積極的で、ベンチャー企業と提携して健康系アプリ「カラダかわるNavi」を会員に提供、東京・渋谷にはVRを活用した最新型スタジオも開設した。
「お友達」の多さ、仕事と余裕生む
理系出身なので、「サービス業の生産性向上」をテーマにした合理的な経営も推し進めた。この結果、フィットネス業界で利益率の高い優良企業として知られる存在になった。
斎藤氏の真骨頂は「人生を楽しく、健康に」をキーワードにした友人の多さだ。スポーツ界に限らず、落語界や経済界、政府関係者など人脈が広い。スポーツ健康産業団体連合会会長のほか、経済同友会や政府関係の委員など要職を幅広く務めている。厚生労働省のスマート・ライフ・プロジェクト推進委員会など様々な会議で話す機会があるが、「まず笑いをとる。落語は枕が大事。3分だけですよといわれるが、話が長くなって怒られることが多い」という。
フェイスブック(FB)には実に1297人の「お友達」がいる。メーカー発の社内ベンチャーの中でスポーツクラブ分野で成功した会社はほとんどない。労働集約型のビジネスで、決して楽に利益の出る事業ではないが、持ち前の楽天的な思考と理系の発想で、事業を大きく育てることができた。
テニスに落語、多くの仲間と4人の子供、8人の孫に囲まれてシニアライフを過ごす。 「人間万時塞翁が馬」という言葉が好きだという斎藤氏。「留学していなかったら、全然違う人生になっていたな」と笑う。
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