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キャリアの原点

強制転勤なし、11時朝礼 他社巡った後継ぎの職場改革 松山油脂 松山剛己社長(上)

2019/7/23

――博報堂、三菱商事というと、かなり出世街道を歩んできたイメージです。

「いいえ、そんなことはありません。松山油脂に入った頃はむしろ、コンプレックスが広がっていった時期でした。博報堂から自信満々で三菱商事へ入ったのですが、結果的にはそこで挫折したのです」

「三菱商事は当時、縦割りの組織に横串を通すという意味で、社外から人材を集めてチームを作っていました。そこは特定の取引先もなければ、特定のビジネスもない、ゼロから事業を作り上げていく部署でした。そこに私も入り、約3年半いたのですが、まったく収益を上げられませんでした」

「周りはみなさん優秀ですから、10億円、20億円規模のビジネスを立ち上げながら、自分の給与分くらいはちゃんと稼げる。なのに、自分はまったく成果を上げられない。そんな時、松山油脂で父親の右腕として働いていた叔父が亡くなった。それを機に父親が廃業したいというので、『入社したい』と申し出ました」

三菱商事で経験した挫折が今につながっているという

「言葉の端々に、私が町工場の仕事を甘く見ているのを感じたのでしょう。そんな中途半端な気持ちで戻ってもうまくいかないと、その時は父に怒られました。当時、松山油脂の売上高は約4億円。これは私が博報堂に入り、最低これだけは売り上げとしてあげろと言われた年度予算と同じです。1年間考えて、どうしても入りたければ頭を下げて入ってこいと父に言われ、93年に決断し、94年1月、松山油脂に入社しました」

「仮にあのまま三菱商事にいても、私の居場所はなかったでしょう。退路を断たれた状態で入社しましたから、『何でもやります』という覚悟でした。1年間は、石鹸を作る釜場で汗を流しました。会社を辞めたときの送別会で東京大学出身の後輩に、『鶏口となるも牛後となるなかれ』のようなことを言われ、いつか見返してやりたいという気持ちもありました。95年、それまでの下請け一辺倒から脱却して自社ブランドの開発に乗り出したのも、根底にはそういう思いがあったからです」

◇  ◇  ◇

現在の社長業には、大学生時代にアルバイトとして働いた出版社のマガジンハウスや、新卒で入った博報堂、転職先の三菱商事で学んだことが生かされているという。一見、関係が薄そうなメディアや広告、総合商社での知見が石鹸やヘアケア製品を柱とするビジネスに、どんなプラスをもたらしたのか。後編では松山氏の「背骨」になったキャリア経歴を語ってもらう。

(ライター 曲沼美恵)

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