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お年寄りもディスコへGO 車いすで「綱引きポーズ」

DJ OSSHYさん(下)

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NIKKEI STYLE

令和のニッポンに再来したディスコブーム。仕掛け人の「DJ OSSHY(オッシー)」こと押阪雅彦さん(53)が新たなファンとして着目しているのが、お年寄りだ。足腰が弱っていても、音楽に合わせて腕などを動かせば楽しく汗をかける。連載の後編では、高齢社会におけるエンターテインメントの可能性についても語ってもらった。(前編は「ディスコブーム、令和に再び 仕掛け人が語る『本気』」

 OSSHYさんがディスコと出合ったのは1982年、高2の夏だ。先輩に連れられて東京・渋谷の店を訪れた。10代の少年には衝撃的な体験だった。

当時の立教高生はませていたので、背伸びして大学生の遊びをまねすることがはやっていました。ディスコに足を踏み入れた瞬間に「何だ、この世界は」と驚きました。天井のミラーボールがキラキラと光を放ち、大人たちが華麗に踊っている。別世界に来た感覚でした。

そのころは寮を出て自宅から通学していたので、毎週のようにディスコに行くようになりました。当時のディスコは「フリードリンク・フリーフード」。1000~1500円の入店料を払えばよかったので、高校生の小遣いでも通えたのです。

友達の目当ては女の子との出会い。それをよそに、会場のブースで音楽をかけるDJの一挙手一投足を、食い入るように見つめていた。

ナンパもしないで変な奴だと思われたのでしょう。数カ月たったころ、顔見知りになったモンチさんというチーフDJが「そんなにDJがやりたいのか。やる気があるなら紹介するぞ」と声をかけてくれました。ある店でDJの空きが出て見習いを探しているというのです。当時、DJは人気職業で狭き門でした。天にも昇る心地でした。

モンチさんからは「根性がないとやっていけない厳しい世界だぞ」と念を押されました。私は「三日坊主にはなりません」と即答しました。

 紹介されたのは渋谷の有名店「キャンディキャンディ」。しかし両親はディスコでのアルバイトに猛反対した。父は民放テレビ初のフリーアナウンサーである押阪忍。子供が有名人の子息として有頂天になるのを恐れて、しつけに厳しかった。

当時のディスコは不良のたまり場というイメージがありました。父は世間体を気にして「すぐ辞めろ」と言う。いつもは優しい母でさえ顔を曇らせました。高校生のバイトが珍しかったし、たばこの煙が立ちこめる場所で体を壊さないかと心配したのです。

でも私は自分の判断で、ディスコのアルバイトを始めました。親の言うことを素直に聞いてきた子どもが、初めて逆らったのです。

見習いDJは客の少ない時間帯にプレーさせてもらえます。曲のつなぎを失敗すると、「お前、下手くそだな」と先輩DJから小突かれ、容赦なく蹴られました。でも私は音を上げませんでした。高校時代はずっと見習いで、大学生になってから独り立ちして、いろいろな店でDJのバイトをしました。

大学を卒業して広告会社に入りましたが、何か物足りなさを感じて2年で退社。米オクラホマ州の大学に1年間、語学留学しました。南部は黒人音楽が盛んな土地柄です。日本でDJをやっていたと自己紹介すると、みんなが私をリスペクト(尊敬)してくれました。「何かプレーして」。多くのパーティー会場に呼ばれました。

帰国した91年にFMヨコハマに中途入社したのも、米国での経験からです。現地でDJをしているビデオを採用の人に見せたら、興味を持ってくれました。ここで趣味のDJと仕事が初めてつながったのです。

 FMヨコハマでは、プロデューサー・ディレクターとして番組制作に携わった。並行して、DJとしても活動。スタジオに機材を持ち込んで番組の中で生プレーしたこともある。だが順風な会社員生活は長く続かなかった。

楽しくて仕方がなかったラジオ局ですが、約10年で辞めました。両親が病気で倒れたためです。2002年、両親が経営する芸能プロダクション会社に、社長含みで入りました。

でも「音楽番組を作りたい。DJを続けていきたい」という思いは消えず、社内に番組制作部門を立ち上げました。当初は裏方としてラジオ局の番組を制作していましたが、12年からは自ら表舞台に出るようになりました。こうして「DJ OSSHY」が誕生したのです。

DJとしての37年の長いキャリアのなかで、「父親に認めてもらいたい、認めさせたい」とずっと思ってきました。高校生のときに反対を押し切ってディスコのアルバイトを始めて以来、父にはDJの仕事を何遍も説明してきましたが、理解してくれませんでした。

ところが02年、親と子供が休日の昼に健康的に楽しめる「ファミリーディスコ」を始めたところ、父が初回のイベントに見学に来ました。「これならいい」と言ってくれたときは、うれしかったですね。ファミリーディスコは今でも定期的に開催しています。

 その延長線で17年に始めたのが「高齢者ディスコ」だ。DJとして老人ホームや介護施設を訪問し、その場を踊りの場に変える。

親子が一緒に弾ける姿を見るにつけ、高齢者も含めた3世代が楽しめる時代が来ればいいと思うようになりました。

そうして始めた高齢者ディスコですが、初回の福祉施設では本番1週間前に大慌てしました。いつも通りプレーすればいいと思っていたら、入所者は認知症を患っていて、車イスで生活しているというのです。頭が真っ白になりました。座ったまま踊れる振り付けや曲を、直前まで考え抜きました。

西城秀樹さんがカバーした「Y.M.C.A」はその一つ。これなら腕だけで踊れるでしょ? 腕を前後に動かす「綱引きのポーズ」、ロダンの「考える人」のポーズ、「拝むポーズ」など、振り付けには分かりやすい名前をつけました。80年代の定番ディスコ曲を20くらいかけ、お約束のチークタイムも入れました。

最初は戸惑っていたお年寄りが、終わるころにはノリノリになってタオルで顔をぬぐっていました。ディスコ音楽の力だと思います。施設の人からは「普段は汗なんか全くかかない人たちなのに」と感激されました。

7月22日は2回目の「ディスコの日」。私は東京・恵比寿で記念イベントを開きました。これからも、日本をもっともっとディスコで盛り上げていきますよ!

(シニアライター 木ノ内敏久)

[日本経済新聞夕刊2019年7月18日付、19日付を再構成]

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