お年寄りもディスコへGO 車いすで「綱引きポーズ」DJ OSSHYさん(下)

FMヨコハマでは、プロデューサー・ディレクターとして番組制作に携わった。並行して、DJとしても活動。スタジオに機材を持ち込んで番組の中で生プレーしたこともある。だが順風な会社員生活は長く続かなかった。

楽しくて仕方がなかったラジオ局ですが、約10年で辞めました。両親が病気で倒れたためです。2002年、両親が経営する芸能プロダクション会社に、社長含みで入りました。

でも「音楽番組を作りたい。DJを続けていきたい」という思いは消えず、社内に番組制作部門を立ち上げました。当初は裏方としてラジオ局の番組を制作していましたが、12年からは自ら表舞台に出るようになりました。こうして「DJ OSSHY」が誕生したのです。

2019年6月、千葉県柏市の介護老人保健施設で開いた「高齢者ディスコ」(奥の中央が本人)

DJとしての37年の長いキャリアのなかで、「父親に認めてもらいたい、認めさせたい」とずっと思ってきました。高校生のときに反対を押し切ってディスコのアルバイトを始めて以来、父にはDJの仕事を何遍も説明してきましたが、理解してくれませんでした。

ところが02年、親と子供が休日の昼に健康的に楽しめる「ファミリーディスコ」を始めたところ、父が初回のイベントに見学に来ました。「これならいい」と言ってくれたときは、うれしかったですね。ファミリーディスコは今でも定期的に開催しています。

その延長線で17年に始めたのが「高齢者ディスコ」だ。DJとして老人ホームや介護施設を訪問し、その場を踊りの場に変える。

親子が一緒に弾ける姿を見るにつけ、高齢者も含めた3世代が楽しめる時代が来ればいいと思うようになりました。

そうして始めた高齢者ディスコですが、初回の福祉施設では本番1週間前に大慌てしました。いつも通りプレーすればいいと思っていたら、入所者は認知症を患っていて、車イスで生活しているというのです。頭が真っ白になりました。座ったまま踊れる振り付けや曲を、直前まで考え抜きました。

「ディスコで日本をもっと元気にしていきたい」と語る

西城秀樹さんがカバーした「Y.M.C.A」はその一つ。これなら腕だけで踊れるでしょ? 腕を前後に動かす「綱引きのポーズ」、ロダンの「考える人」のポーズ、「拝むポーズ」など、振り付けには分かりやすい名前をつけました。80年代の定番ディスコ曲を20くらいかけ、お約束のチークタイムも入れました。

最初は戸惑っていたお年寄りが、終わるころにはノリノリになってタオルで顔をぬぐっていました。ディスコ音楽の力だと思います。施設の人からは「普段は汗なんか全くかかない人たちなのに」と感激されました。

7月22日は2回目の「ディスコの日」。私は東京・恵比寿で記念イベントを開きました。これからも、日本をもっともっとディスコで盛り上げていきますよ!

(シニアライター 木ノ内敏久)

[日本経済新聞夕刊2019年7月18日付、19日付を再構成]

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