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ディスコブーム、令和に再び 仕掛け人が語る「本気」

DJ OSSHYさん(上)

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NIKKEI STYLE

1970~80年代に流行したディスコが、再び盛り上がる兆しを見せている。象徴ともいえる六本木のマハラジャにはミドル層が詰めかける。昨年には、7月22日がディスコの日に制定された。ブームの仕掛け人は「DJ OSSHY(オッシー)」こと押阪雅彦さん(53)。37年間のDJとしての歩みは、日本のディスコの歴史そのものだ。

◇   ◇   ◇

平成最後の4月30日は東京・六本木のディスコ「マハラジャ」でDJとしてプレーし、夜の10時から令和時代が明けた午前0時すぎまで場を盛り上げました。いつもは100人も入れば満員なのにこの日は500人も押し寄せました。

ディスコが全盛だったバブル期と違うのは、お客さんの中心が40、50代のミドルであること。若い頃にディスコに興じた人たちが戻ってきたのです。

私が司会するディスコラジオ番組「RADIO DISCO」が始まったのが2012年。ほぼ時を同じくしてマハラジャが復活し、お客さんの子育ても一段落しました。様々な要素が合わさって、ディスコブームが再来したと思っています。

私は今年でDJ歴37年。バブル崩壊後、ディスコは廃れ、音楽のジャンルを一つに絞った「クラブ」に踊り場の主流が移りました。ジャンルを問わず何でもかけるディスコは古臭いと思われたのです。DJの多くが引退しましたが、私はディスコにこだわってきました。青春時代のディスコ音楽にほれ込んでいたからです。

「DJはレコードやCDをかけるだけ」と思われがちですが、私は「音楽の料理人」と考えます。出だしから終わりまで起承転結をもたせ、時にはアドリブで曲目を替えて客を盛り上げる。一度たりとも同じ料理を出したことはありません。どんな状況にも瞬時で対応する引き出しを持っていることが、若手DJにない強みだと思います。

 日本記念日協会は昨年、7月22日を「ディスコの日」に認定した。OSSHYさんは記念日制定に向けて、仲間たちと奔走してきた。

7月22日は、日本にディスコ文化を初めて紹介した米国の青春映画「サタデー・ナイト・フィーバー」の公開日です。昨年はちょうど40周年でした。当時の若者たちはこれを見て、米国にはこんなに心ときめく音楽と踊りのカルチャーがあるということを知りました。「フィーバー」が流行語になり、80年代にディスコ全盛期を迎えました。

平成の終わりに再び巡って来たディスコブームを、一過性で終わらせたくない。それには日本のディスコの原点となる日を顕彰しなければならない。そう思って、音楽関係者と相談して記念日を申請しました。

ディスコは今や若者だけの特権カルチャーではありません。17年からは「高齢者ディスコ」と称し、老人ホームや介護施設を訪れています。いつか「ディスコの日」が社会に認知され、老若男女がともに踊れるようになればと本気で思っています。

民放テレビ初のフリーアナウンサーである押阪忍、タレント・フリーアナウンサーの栗原アヤ子の長男として1965年に生まれた。2歳下の弟と共に厳しく育てられた。

小学校1年生から剣道を自宅近くにある警察署の教室で習わされ、中2まで続けました。ほかにも習字、ピアノなど習い事でびっしり。平日に塾がない日はありませんでした。友達から遊びに誘われてもいつも断ってばかり。「自分だけなぜ習い事に行かなければならないのか」と、子供心にいつも理不尽を感じていました。

父は64年の東京五輪で金メダルを取った女子バレーボールの実況を担当するなどアナウンサーの草分けです。テレビ局を辞めた後もフリーアナウンサーとして活躍し、画面で父の姿を見ない日はありませんでした。

父はクリーンなイメージが売りでしたから、子供が有名人の子息としてちやほやされて天狗(てんぐ)になるのを恐れていました。勉強のことはあまり言いませんでしたが、礼節、しつけはうるさかったです。

一方、母はどこまでも優しく、子供のわがままを受け止め、いいところを伸ばそうとしてくれました。楽天的で何事にも前向き思考。いつも明るい、天真らんまんな性格です。神経質で、公私とも常にストイックだった父とは対照的でした。

私は楽天的なところは母譲り。でも仕事にストイックなところは父に似ているかな。

ディスコの本番では1時間~1時間半、プレーします。そのための仕込みとして曲目を選んだりMC(話し手)の話題を考えたりするのに、前日に6~8時間かけます。毎日のようにDJの仕事をしていますから、目が覚めている間は、音楽のことばかり考えていますね。

 81年、立教大付属の立教高校(現・立教新座高校)に入学し、テニス部に入った。受験生活が終わってホッとしていたら、父から寮に入れと命じられた。

高校は埼玉県新座市にあったので、都内の自宅からでも十分電車で通える距離でした。楽しい高校生活を期待していたのに、きつい寮生活とは……。ベッドのシーツの中で泣きました。寮では想像通りの、軍隊のような生活が待っていました。

早朝に起床してすぐ掃除。点呼の後はグラウンドを何周も走らされます。今では許されないことですが、先輩たちの特訓やシゴキがひどかった。毎晩、廊下に立たせられて尻をバットでたたかれました。立教はミッション系ですから昼は聖書を朗読します。まさに「天国と地獄」の両方を味わいました。

寮生は1学年50人。いろんな人がいました。元プロ野球選手の長嶋一茂君や、東京・銀座にある老舗楽器店、山野楽器の現社長である山野政彦君などです。一茂君はプロを目指して野球一筋だったので当時はディスコに目もくれませんでしたが、引退後に私が司会していたテレビのディスコ番組にゲスト出演し、高校時代の思い出話で大盛り上がりしたことがあります。濃密な時間を一緒に過ごした仲間は今でも大の仲良しです。

(シニアライター 木ノ内敏久)

[日本経済新聞夕刊2019年7月16日付、17日付を再構成]

(後編「お年寄りもディスコへGO 車いすで『綱引きポーズ』」に続く)

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