
惣誉酒造が仕込み方法を山廃から生酛に切り替えたのは2001年。「きめ細やかで味わいが深く、余韻がある」。社長の河野遵さんと杜氏の阿部さんの意見が一致し、生酛のよさを再認識した。以来、生酛造りでありながら、いかに軽やかさを感じさせるか。野性味を強調しすぎず上品に仕上げるか。その理想像を求めて、惣誉の造り手は技術を磨き続けてきた。
商品の3割が生酛造り。「惣誉 特別純米酒 辛口」のように、生酛と速醸酛をブレンドした商品もある。「料亭など、繊細な和食を提供する店からは生酛100%より速醸酛とブレンドした商品が好まれる場合もあります」
創業は1872(明治5)年。江戸時代に近江国、今の滋賀県日野町で味噌などの醸造業を営んでいた近江商人が栃木に移り住み、酒造業を始めた。当代の社長、河野遵さんは5代目に当たる。北関東には、江戸中期以降に近江商人が支店を構え、酒造業を始めたのをルーツとする酒蔵が多い。惣誉酒造もその一つだが、創業の時期は後発といえる。

なぜ市貝町を選んで酒蔵を建てたのかは、謎だ。記録は残っていないという。たびたび氾濫の起きる小貝川の源流近くに位置し、鬼怒川の伏流水が豊富な場所で、水量には恵まれている。ただ、主要な街道筋からは離れているし、水運に至便ともいえない。地産地消の精神が生まれ、貫かれてきた背景には、マーケティング戦略を立てるうえでの地理的な制約があったのかもしれない。
地産地消の酒蔵が輸出に乗り出したのは「日本酒のおいしさを世界に伝えたいから」。2011年に始め、売り上げの3%を占めている。輸出先は米国・英国が中心で、香港などにも広げてきた。日本食レストランで評価が高いという。それでも、道大さんは「日本酒はまだまだ特別な酒。もっと日常的に飲んでもらえるよう存在感を高めないと」と課題を口にする。
あえて伝統的な仕込み方法である生酛造りを復活させ、軽快で飲みやすい生酛を生み出してきた。「生酛のルネサンス」を発信する余地は国内外に広がっている。
(アリシス 長田正)