生ハム・バカラオ… 塩の道が伝えた世界の塩蔵食品
魅惑のソルトワールド(31)
前回のコラム「数の子・塩辛… 日本の塩蔵食品、保存と発酵の技満載」で、食材を塩で漬けることで保存がきくようになるメカニズムと、日本で古くから伝わってきた塩蔵食品や塩の道について紹介した。今回は世界各国に視野を広げて、塩蔵食品とその歴史について書こうと思う。
私たちの身近にある海外産の塩蔵食品と言えば、生ハムやサラミが最もわかりやすいだろうか。生ハムの作り方は意外とシンプルだ。生ハムの最高峰とも言われるスペインの「ハモン・イベリコ」の作り方を調べてみた。まず、骨付きの豚肉の塊をマッサージしてしっかりと血抜きをし、その後に塩を丹念に全体に刷り込み、塩で豚肉が見えないくらいの状態にする。その状態で1週間以上寝かせて、塩を洗い流してから、乾燥室に運んでつるす。
表面にオリーブオイルなどの油分を塗り、湿度や温度がコントロールされた乾燥室の中でつるしながら約6カ月以上熟成させていく。大体2~4年、長いものだと5年の熟成期間を経て出荷される。この熟成期間に、豚肉自身が持つ酵素の働きでたんぱく質が分解されてアミノ酸(うま味の素)が増加するとともに、イノシン酸が生成されてうま味の相乗効果が表れる。さらに、水分が飛ぶので凝縮感が出て、より強くうま味を感じるようになる。また、筋繊維をまとめていたコラーゲンもほどけて食感も軟らかく変化するのである。
この、長い熟成期間に腐敗に向かわずにきちんと熟成させるために、塩は非常に重要な役割を果たしているのだ。塩を減らして仕込んだ場合、豚肉の中の水分が抜けきらず、腐敗菌が活動して、間違いなく腐敗してしまうからである。
なお、生ハムは欧州では紀元前から保存食として生産されてきた。それぞれの国や地域で微妙に作り方に違いはあれど、基本的な工程は同じだ。イタリアでは、「プロシュート」、スペインでは「ハモン・セラーノ」と呼ばれ、日常的に親しまれている。
日本では長らく、加熱したロースハムやボンレスハムのみ製造が認められていたが、1982年に生ハム製造の規格が制定され、それ以降は国内でも生ハムの生産ができるようになった。製造には高い湿度や温度はご法度のため、秋田県などの寒冷地での生産が盛んだ。
続いて魚の塩蔵食品「バカラオ(バカリャウ)」を紹介しよう。これは、タラの塩漬けを干物にしたもので、タラの主要漁獲地である北欧をはじめ、スペイン・ポルトガル・ギリシャなどの南欧諸国、そしてスペインやポルトガルの植民地であった中南米諸国などに伝わる伝統的な保存食だ。昔から肉食も盛んなこれらの地域で、なぜ魚の塩蔵食品が作られるようになったのか?宗教、そして戦争と関係があるようだ。
厳格なカトリック文化圏では、復活祭の前日までの約40日間は鳥獣肉を食べることが禁じられている日があるため、その際に食べるものとして広まったと言われている。
また、スペインのバスク地方でも、バカラオは日常的に食べられているが、そうなった背景には戦争がある。その昔、バスクの商人が北欧にバカラオを発注したところ、数量を間違えて百万匹送られてきてしまった。どうしようかと困っていたところ、スペインの王位継承を争うカルリスタ戦争が勃発したため、兵士の携帯食としてバカラオが重宝され、広まった、というエピソードが語られているという。そのほか、マカオのように、植民地となった地域に持ち込まれて、そのままその地域に根付いた例などもある。
もちろん、当時の北欧を中心とした漁場でタラが豊富に漁獲されたことが前提にある。タラは非常に劣化の早い魚だったため、冷凍技術が発達していなかった当時は塩蔵食品にして流通させるしか手段がなかったのである。
バカラオはタラの内臓などを処理したのち、大量の塩で数カ月漬け込んで作る。そのままでは塩辛くて食べることができないので、調理の前に丸1日かけて塩抜きをしてから使われる。スープやシチューの具材にしたり、トマトソースや牛乳で煮込んだり、グラタンにしたり、いため物にしたり、あえたりと、幅広い料理に活用されている。かつては庶民の味として広く親しまれていたが、最近では原料となるタラの収穫量が減少し、ちょっとした高級品になってしまった。
塩や塩蔵食品を運んだ道のことを「塩の道」と呼ぶことは前回のコラムでも紹介したが、当然日本だけでなく、世界にも「ソルト・ロード(塩の道)」が存在する。
人間は塩がないと生命を維持できないため、かつて塩は「白い金」と呼ばれる時代があったほど貴重なものだった。そのため、塩の生産地は経済的に富み、塩の生産地を中心として都市が発展し、そこへ行くまでの道(ソルト・ロード)に沿って経済が活性化していた。「すべての道はローマに通じる」と言われたローマ帝国も、最も栄えていた道は「Via Salaria(ヴィア・サラリア=塩の道)」であったという。またドイツでは、ハンザ同盟時代の主要な輸出品であったニシンの塩漬けを作るために、リューネブルクで産出された岩塩をリューベックまで運ぶ道があり、非常に重要な道として発展を遂げた。
このように、世界各地にソルト・ロードがあるが、今なお利用されているのがアフリカ大陸に広がるサハラ砂漠を横断するソルト・ロードである。サハラ砂漠は特殊な装備をしていない車で乗り入れた場合、タイヤが砂に埋まって動かなくなってしまったり、厳しい暑さや吹き付ける砂粒で車が故障したりする可能性が高い。このため、車両を使用しての運搬が非常に困難なエリアなのだ。そのため、今でも昔ながらにラクダを利用して塩の運搬が行われているのである。
砂漠で塩など収穫できそうにもないと思うかもしれないが、地中に岩塩が埋まっていたり、それが伏流水で溶けて地上に湧きだしたりしているため、少ないながらも塩湖や岩塩が点在している。ニジェールのビルマでは地下から湧き出た塩水を地上で乾燥させて製塩を行っているし、マリ共和国のタウデニでは埋蔵されている岩塩を掘り出して塩を生産している。
塩を生産している砂漠の村にとっては、塩は重要な外貨を稼ぐ手段でもある。そのため、ラクダの背に塩を乗せて、ニジェール内ではビルマからアガテスまで、またはマリ共和国ではタウデニからトンブクトゥを経てモプティまで、それぞれ約750キロもの距離を、約3週間かけて塩を運ぶのである。運ばれた塩は高値で取引され、代わりに手に入れた食料を積んで、また同じ道を戻るのである。
塩蔵食品の背景には、様々な物語がある。塩蔵食品を食べる時には、ぜひその物語にも思いをはせてみてほしい。きっとおいしさが増すはずだ。
(一般社団法人日本ソルトコーディネーター協会代表理事 青山志穂)
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