エボラ大流行、治療に現地民の壁 医師団は襲撃被害も

日経ナショナル ジオグラフィック社

ナショナルジオグラフィック日本版

コンゴ北東部の村バヤナで、WHOのチームがコンフィルメ・マシカ・ムガニラちゃん(7)の体温を測る。彼女は、両親と兄、妹をエボラで亡くし、親戚に育てられている(Photograph by Nichole Sobecki)

アフリカ、コンゴ民主共和国(DRC)北キブ州の街ブテンボで育ったムリャンザ・ユゲットさんは、長距離を走るのが好きだったが、子どもたちと関わるのも好きだった。そのため、ブテンボのアサンプション大学に入学し、幼児教育を学んだ。

ユゲットさんが大学を卒業して1カ月たった2018年8月、世界保健機関(WHO)は北キブ州でエボラウイルス病(エボラ出血熱)が大流行していると、公式に宣言した。そして、ユゲットさんの夢は変わった。国連児童基金(ユニセフ)の仕事に就き、村々を回って、エボラについての知識を広めた。ウイルス性出血熱の広がり方、早期治療で進行を止められること、治療が遅れれば命取りになることを説いた。

エボラ生存者のムリャンザ・ビスヤ・ユゲットさん(24)。ウイルスをめぐる偏見を和らげようと、女性グループの前で自らの経験を語る(Photograph by Nichole Sobecki)

人口約8100万人のこの国では、これまで何回も新たなエボラ対策が打ち出された。しかし、その度に、病気に対する恐怖と無知、外国の機関による医療支援への不信、武装した民兵たち、貧困、絶望など、大きな壁が立ちはだかるのだ。

2014年から2016年にかけ、アフリカ大陸で史上最大規模のエボラ流行が起こり、アフリカ西部で1万1000人以上が死亡した。ウイルスがコンゴに現れた2018年半ばまでに、医療専門家たちはエボラ研究をさらに進め、新たな治療法を手にしていた。ユゲットさんのように啓発を担う人たちが、希望を与えられる可能性が出てきた。早く治療を受ければ、回復の望みがあると。

数十年にわたって紛争が続く不安定な状態にあるこの国は、40年間で10回もエボラ流行に見舞われている。エボラによる死者の遺族は、遺体を持ち去って安全に処分しようとする保健スタッフに攻撃を加えてきた。その上、国内では50もの武装民兵グループが活動しており、悲惨な目に遭って家を追われた多くの人が絶えず移動しているため、感染症を封じ込めるのも困難だ。

待機する救急車にカクレ・カベンディブワくん(14)を運ぶ保健スタッフ。前日に家族が彼を近くの保健センターに連れて行くと逃げだしてしまった(Photograph by Nichole Sobecki)

武装グループは、支援スタッフの活動を妨害することに躍起になっている。よそ者である支援機関が、武器としてエボラを持ち込んだか、エボラから何らかの形で利益を上げていると疑っているのだ。こうした不信感から、多くの住民は病気になっても支援を求めない。2018年末までに、コンゴでのエボラ流行は記録上2番目の規模となった。

親戚中が集まった2018年の年末休暇の間、ユゲットさんはかなり疲れを感じていた。新年を祝う準備や料理の手伝いをしていたとき、彼女いわく「本当にひどい頭痛」が起こり、頭の中でハンマーが打ち付けられているような痛みがし始めた。それが4日続き、次いで39度の熱が出た。家族の中に医師や看護師をしているおじ、おばがいたため、急いでブテンボの病院に連れて行かれた。

ユゲットさんはマラリアだと言われ、通常のキニーネ治療を5日間受けた。WHOの医師がやってきて、彼女の血液サンプルを要請したことで、初めて正しい診断が下された。エボラだった。

どうやって感染したのか、ユゲットさんには分からない。エボラ患者の遺体を洗ったり、葬送の儀礼に加わったりしたことは一度もない。だが、葬儀に行ったことは何度もあった。愛する人のなきがらに触れた人たちの隣に座ったり、手を握ったり、抱き締めたりしていた。

ユゲットさんは短期間で治った。診断が早く、出血を伴う下痢、嘔吐、激しい腹痛が起こる前だったからだ。どうやってエボラに感染したかではなく、この事実が重要だと彼女は話す。ブテンボにあるITAVエボラ治療センターで1週間治療を受けると、帰宅できるほど回復した。この経験で、ユゲットさんは医学の進歩を実感した。

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