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「尊敬とコミュニケーションが持続可能な形でおいしい肉を仕入れることができる秘けつ」と高岡社長は説明する

それともう1つ。畜産というのは365日休みがない仕事なわけですが、なぜそれでも頑張れるのかというと、自分が育てた牛を競りに出して、競りの値段が跳ね上がる、そのときの感動がたまらないといいます。つまり、安定的にお給料をもらって安心して暮らしたいという感覚とは全く違う世界なのです。

それを聞いたとき、契約という形で私たちが安易に手を出すべきではないと考えました。むしろ、本当にいい牛を育てている方をリスペクトして、その人たちが作りたくなるような適正価格で購入することに力を入れる。そして、買ったものについて評価や要望を伝える。

尊敬とコミュニケーション。それが持続可能な形でおいしい肉を仕入れることができる秘けつだと考えています。

――仕入れた後の肉の取り扱いでも、人形町今半独特の特徴というのはありますか。

独特というより、丁寧にやるという文化があるのが人形町今半の特徴かと思います。

たとえば、希少部位というものがあります。非常においしい部分の肉だけれども、一頭の牛からわずかしか取れない。通常はそこを分けて、高く売るということをします。しかし、うちの場合は、そういうのも全部まとめてすき焼き用の平切りにしちゃうんです。

たぶん、こういう切り方をする精肉店さんてあまりないです。しかし、うちの場合、すき焼きとして、またすき焼き用の肉として安定的に売れる仕組みがありますから、そこにいい肉を混ぜながら売って、味の評価につなげることができるのです。

そのかわり、ムダを出すことには厳しい。肉は「掃除をする」と言って、スライスする前の塊からまず脂をそいでいきます。この仕事の合言葉として、「脂のバケツを真っ白にしよう」と言っています。つまり、赤身を絶対に削らないようにする。これは時間がかかるので、普通はそこまで厳密にはやらない。

でもうちは、少々時間がかかってもぎりぎりのところでそいで、大事なところは残す。そうすると原価率は改善しますし、よりいいものが提供できるのです。そういった細かい技術にこだわっています。

――創業100年を超えると聞きますが、当時からすき焼きのお店だったのでしょうか。

明確な記録はないんですが、高岡家の先祖の墓に「明治28(1895)年備前より出て東京にて割烹(かっぽう)業を始める」とあります。ただし、「今半」という名前になったのは大正元年ごろだったようです。当時、今里というところに政府公認の食肉市場があって、そこに出入りしていた店は店名に「今」の字を使ったようです。肉を食べさせる店、そして今様の今、最先端の食べ物を扱っている店という意味もあって「今」を使い、そのときの共同経営者で店主だった相澤半太郎という人の「半」で「今半」になった。

その頃の主力は、すき焼きではなく牛鍋でした。実は牛鍋というのは安価な庶民的な食べ物でした。資料を見ると、当時牛鍋35銭に対してビールが40銭で、ビールの方が高かった。その後、関東大震災や戦争などの苦境の中、商品をグレードアップして値段を上げていく過程で関西にあったすき焼きの名前を持ってきたという流れです。

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