検索朝刊・夕刊LIVEMyニュース日経会社情報人事ウオッチ
NIKKEI Prime

朝夕刊や電子版ではお伝えしきれない情報をお届けします。今後も様々な切り口でサービスを開始予定です。

検索朝刊・夕刊LIVEMyニュース日経会社情報人事ウオッチ
NIKKEI Prime

朝夕刊や電子版ではお伝えしきれない情報をお届けします。今後も様々な切り口でサービスを開始予定です。

検索朝刊・夕刊LIVEMyニュース日経会社情報人事ウオッチ
NIKKEI Prime

朝夕刊や電子版ではお伝えしきれない情報をお届けします。今後も様々な切り口でサービスを開始予定です。

NIKKEI Primeについて

朝夕刊や電子版ではお伝えしきれない情報をお届けします。今後も様々な切り口でサービスを開始予定です。

/

人形町今半の肉哲学 和牛の味は舌じゃなくて目で選ぶ

人形町今半 高岡慎一郎社長(上)

詳しくはこちら

NIKKEI STYLE

すき焼きを主体とした、和牛を取り扱う老舗料理店として知られる人形町今半。昨今、"肉好き"の消費者が増え、肉の銘柄、肉の格付け、肉の部位名などについて話題になることも多いが、人形町今半は意外にも、そのいずれにもこだわらない独特の考え方を持っていた。高岡慎一郎社長に、和牛肉の仕入れの考え方と味で評価される秘密を尋ね、弁当や精肉販売まで多角化していった創業の経緯を語っていただいた。

――おいしい和牛というと「近江」「松阪」などの銘柄牛を思い浮かべますが、人形町今半ではどれを扱っていますか。

うちの場合は特定の生産地で選ぶということをしないんです。大切なのは食べておいしいことであって、「○○牛」といった銘柄や「A5」か「A4」か(歩留まりと肉質によるランク)といったことで選ぶということをしていない。

つまり、名前や格付けで選ぶのではなく、味で選ぶ。と言っても、舌で選ぶのではなく目で選ぶんです。食べてみることはできないので、肉を目で見て選ぶ。肉の状態を見ただけで味を感じ取らないといけないので非常に難しいのですが、これができる熟練の仕入れ担当者がいることがうちの強みです。

ところが、不思議とうちが買う生産者は、結果として同じ生産者に絞られてくるということがあります。選んでみたところ、次もなぜかまた同じ生産者のものを仕入れたということになるのです。いいものを出す人は、またいいものを出す。私たちとしては、そのような生産者の方たちとのつながり、コミュニケーションをとっていくことが大事だなと思っています。

たとえば最近ですと、鳥取県の田村牧場さんというところがあるんですけれど、そこからの仕入れは多いです。味もよいですし、牧場の考え方、思いにも共感します。

――そういった生産者と契約して、人形町今半専用の和牛を育ててもらうといったこともありますか。

実は以前、「牛づくり」もやってみたいと考えて契約牧場というのをやったことがあります。うちでよい子牛を買って、山形と近江2カ所の生産者に2年4カ月預けて育ててもらって、その間の餌代、手間代をお支払いして、そしてその肉を買い取るという形にしました。

当初、生産者のほうでも面白いねという形で始まったんですけれど、1回目の出荷後、2カ所とも次はやらないと断られちゃいました。なぜかというと、まずは今半さんの肉を育てているというだけで緊張すると。預かった牛を病気にしたら、死なせたらどうしようというプレッシャーがある。

それともう1つ。畜産というのは365日休みがない仕事なわけですが、なぜそれでも頑張れるのかというと、自分が育てた牛を競りに出して、競りの値段が跳ね上がる、そのときの感動がたまらないといいます。つまり、安定的にお給料をもらって安心して暮らしたいという感覚とは全く違う世界なのです。

それを聞いたとき、契約という形で私たちが安易に手を出すべきではないと考えました。むしろ、本当にいい牛を育てている方をリスペクトして、その人たちが作りたくなるような適正価格で購入することに力を入れる。そして、買ったものについて評価や要望を伝える。

尊敬とコミュニケーション。それが持続可能な形でおいしい肉を仕入れることができる秘けつだと考えています。

――仕入れた後の肉の取り扱いでも、人形町今半独特の特徴というのはありますか。

独特というより、丁寧にやるという文化があるのが人形町今半の特徴かと思います。

たとえば、希少部位というものがあります。非常においしい部分の肉だけれども、一頭の牛からわずかしか取れない。通常はそこを分けて、高く売るということをします。しかし、うちの場合は、そういうのも全部まとめてすき焼き用の平切りにしちゃうんです。

たぶん、こういう切り方をする精肉店さんてあまりないです。しかし、うちの場合、すき焼きとして、またすき焼き用の肉として安定的に売れる仕組みがありますから、そこにいい肉を混ぜながら売って、味の評価につなげることができるのです。

そのかわり、ムダを出すことには厳しい。肉は「掃除をする」と言って、スライスする前の塊からまず脂をそいでいきます。この仕事の合言葉として、「脂のバケツを真っ白にしよう」と言っています。つまり、赤身を絶対に削らないようにする。これは時間がかかるので、普通はそこまで厳密にはやらない。

でもうちは、少々時間がかかってもぎりぎりのところでそいで、大事なところは残す。そうすると原価率は改善しますし、よりいいものが提供できるのです。そういった細かい技術にこだわっています。

――創業100年を超えると聞きますが、当時からすき焼きのお店だったのでしょうか。

明確な記録はないんですが、高岡家の先祖の墓に「明治28(1895)年備前より出て東京にて割烹(かっぽう)業を始める」とあります。ただし、「今半」という名前になったのは大正元年ごろだったようです。当時、今里というところに政府公認の食肉市場があって、そこに出入りしていた店は店名に「今」の字を使ったようです。肉を食べさせる店、そして今様の今、最先端の食べ物を扱っている店という意味もあって「今」を使い、そのときの共同経営者で店主だった相澤半太郎という人の「半」で「今半」になった。

その頃の主力は、すき焼きではなく牛鍋でした。実は牛鍋というのは安価な庶民的な食べ物でした。資料を見ると、当時牛鍋35銭に対してビールが40銭で、ビールの方が高かった。その後、関東大震災や戦争などの苦境の中、商品をグレードアップして値段を上げていく過程で関西にあったすき焼きの名前を持ってきたという流れです。

――関東大震災は大きな転機になったのでしょうね。

本店が焼失しました。その後、復興で道をひき直したときに本店の土地が分かれて小さくなってしまった。そして1928(昭和3)年に相澤さんと分かれて、うちの高岡の方は浅草の国際通り沿いに浅草今半を作った。

人形町今半は、この浅草今半の支店として、1952年に今の場所にできました。そして、浅草今半は長男が継ぎ、次男の陞(のぼる)は、私の父ですが、自分は店には関係ないだろうと、三井物産大合同前の商社に就職して商社マンとして働いていました。ところが、人形町の支店を強化するというので、1953年に無理やり家に戻されて、翌年支店長になりました。

ところが、浅草今半の長男が若くして亡くなってしまい、奥様が店を継ぐことになりまして、以降はそれぞれ別々にやっていったほうがいいだろうということで、「浅草今半」と「人形町今半」とに屋号を変えました。それが1956年で、父が人形町今半の経営者になった。

――お父さん、先代の経営はどのようだったのでしょうか。

ワンマンというか、好きなことをしていました。そして何よりアイデアマンでした。柳川鍋をヒントに、すき焼きを温かいままお届けするすき焼き弁当を考案したり。「生肉をお土産にしたい」というお客様の声に応えて精肉販売を事業化したり、さらに物販用の食品や総菜も事業化していきました。

そうして父なりの路線で事業を展開していったので、「自分は人形町の初代だ」という自負がありました。それで、私には「長男のお前は人形町今半の二代目だぞ」と、幼い頃から後を継げということは言われていました。

――では、早くから家業を継ぐ気持ちがあったのですね。

いいえ。親に言われると反発してしまうのが男の子ですよ。父のようなことができるだろうかと考えるとプレッシャーにもなり、違うことを考えていました。大学卒業後は父も何年かほかの会社に勤めていいというので、コンピューターの会社に就職しました。ところが、3年過ぎた頃から早く戻って来いとしきりに言われて、結局4年後に人形町今半に転職しました。

ところが、入社してみると、会社が一つにまとまっていないと感じた。それで、入社1週間目ぐらいに、父のところへ行って、生意気にも、「この会社は社長が思っているより大きい会社ですよ」と言いました。

以前、20~30人の規模の頃は、社長が号令をかけると皆その通りに動いた。ところが、社員250人前後、売上高35億円の規模になっていたその頃になると、社長の一声に対する反応が鈍くなっていたんです。

父もそのことに気づいていて、それで私が入社するのをせかしたのだと思いますが、一方で「お客様第一」とする店の理念を文書化して、新しい経営に移行していきました。

――代替わりしたのは何年ですか。

2001年6月に私が継いで、代表取締役になりました。ところがその3カ月後に外食業界を揺るがす大事件が起きた。人形町今半もお客様が激減して会社存続の危機に見舞われ、父は弁護士のところへ会社のたたみかたを聞きに行っていたほどです。

――たいへんなスタートになったのですね。次回はその危機からうかがいます。

高岡慎一郎(たかおかしんいちろう)
1958年生まれ。玉川大学卒業後、コンピューター関係の会社に就職。84年人形町今半入社。仕入れや弁当の営業など地道な業務からスタートし、店長、総支配人、常務を経て、2001年社長に就任。2018年から大規模外食企業の業界団体、日本フードサービス協会(JF)会長を務める。

(香雪社 斎藤訓之)

春割ですべての記事が読み放題
有料会員が2カ月無料

有料会員限定
キーワード登録であなたの
重要なニュースを
ハイライト
登録したキーワードに該当する記事が紙面ビューアー上で赤い線に囲まれて表示されている画面例
日経電子版 紙面ビューアー
詳しくはこちら

ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。

関連企業・業界

企業:

セレクション

トレンドウオッチ

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

フォローする
有料会員の方のみご利用になれます。気になる連載・コラム・キーワードをフォローすると、「Myニュース」でまとめよみができます。
春割で無料体験するログイン
記事を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
春割で無料体験するログイン
Think! の投稿を読む
記事と併せて、エキスパート(専門家)のひとこと解説や分析を読むことができます。会員の方のみご利用になれます。
春割で無料体験するログイン
図表を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した図表はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
春割で無料体験するログイン

権限不足のため、フォローできません

ニュースレターを登録すると続きが読めます(無料)

ご登録いただいたメールアドレス宛てにニュースレターの配信と日経電子版のキャンペーン情報などをお送りします(登録後の配信解除も可能です)。これらメール配信の目的に限りメールアドレスを利用します。日経IDなどその他のサービスに自動で登録されることはありません。

ご登録ありがとうございました。

入力いただいたメールアドレスにメールを送付しました。メールのリンクをクリックすると記事全文をお読みいただけます。

登録できませんでした。

エラーが発生し、登録できませんでした。

登録できませんでした。

ニュースレターの登録に失敗しました。ご覧頂いている記事は、対象外になっています。

登録済みです。

入力いただきましたメールアドレスは既に登録済みとなっております。ニュースレターの配信をお待ち下さい。

_

_

_