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裕次郎と二人三脚31年 私服も衣装も仕立て2000着 伝説の専属テーラー 遠藤千寿氏が語る

2019/7/12

■病床でもスーツ注文、最後の1着は棺に

――特に思い出に残っている服がありますか。

「2つあります。まずリサイタル用のブラウス。裕次郎さんは親しくしていた歌手のハリー・ベラフォンテさんが着ているようなブラウスで歌いたいと言う。そこで、シルクのブラウスを6色、2枚ずつ、1週間で縫い上げました。もう一つは結婚式で着たモーニングとタキシードです。僕は独立して5年目の若造。大スターの結婚式にもし何かあったら困りますから、と一度はお断りをしたのです。でも、やってくれと任せてくれました。裕次郎さんのところにはよく有名デザイナーさんや洋服店から、うちで服を作らせてくださいとの申し出があった。すべて断っていたそうです」

左は遠藤さん。「ハワイにもよく行きました。僕が好きだからとゴルフに付き合ってくれて。とにかく周囲に気を遣う方でした」

――お2人は注文主とテーラーの関係を超えてお付き合いされていたと聞いています。

「お互いが駆け出しのころに出会い、なぜか分かりませんが気に入ってくださった。年末年始を過ごしていたハワイでは、石原プロモーションの社員が日本に帰った後、寂しくなるのかよく呼んでくれて。自分が好きなヨットよりも僕が好きなゴルフを優先してくれました。みながいるところでは裕次郎さんのことを社長、石原さんと呼んでいましたが、2人きりになると裕さん、遠ちゃんと呼び合った。僕が独立する時も家を建てる時も、何でも相談していました。青春時代の31年間は裕次郎さんと一緒。人生の宝です」

――病床でもスーツを注文されていたのですね。

「入院されているときは毎日夕方に病院に行き、眠るまでおしゃべりしていたのです。あるとき、退院した後に着るんだといって8着分の生地を選んでもらいました。亡くなる前の一時退院の時に『仮縫いがしたい』と言われて、病院を出て直接、僕の店に寄ってくれました。8着のうちの2着を仮縫いし、大急ぎで一週間後に1着を完成させました。少しでも励みになればと病院に持っていって、お部屋の壁にかけて飾っておいたのです。ネクタイも合わせて。裕次郎さんもとても喜んでくださった。でも残念ながら亡くなられてしまいました。その背広は天国で着ていただこうと、棺に納めました」

最後に作ったスーツの生地はヘリンボーン柄が入った紺。完成した三つ揃いは病室に飾られ、退院の時に着るのを楽しみにしていたのだという

――服作りを通じての裕次郎さんのお人柄は。

「裕次郎さんを通じて知り合った兄・慎太郎さんや長嶋茂雄さんの服も作りましたし、『太陽の季節』のモデルとなった慶応大の同窓生グループ『元祖会』のおそろいのブレザーやワッペン、石原プロの社員の服も作りました。人間性に表裏がなくて自然体。おそろいの服を作りたがるところから見ても、仲間との連帯感を大事にする人でしたね」

(聞き手はMen's Fashion編集長 松本和佳)

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