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原宿ポップカルチャーの伝道師 レール外れた20年 アートディレクター 増田セバスチャン氏

2019/8/7

「普通」じゃなくてもいいのかもと最初に思えたのは図書館で寺山修司さんの本を読んだとき。既成概念にとらわれるなというメッセージにはっとしました。そして「書を捨てよ、町へ出よう」という本を読んで、引きこもっていないで行動しなくちゃいけない。もう一回東京へ帰って、何ができるかわからないけどやってみようと再起した。

25歳で「6%DOKIDOKI」を原宿にオープン

東京に戻ってからは寺山さんへの憧れから前衛的な劇団に入って、自分の作品をつくってみたものの全然評価されなくてまた絶望。ある美術評論家からは「こんなのがアートだと言われたらおしまいだ」と説教されて、やはり自分には才能がない、世の中から必要とされてない、と落ち込みました。でも時間が経つと、いや、自分にしかできない表現があるはずだと何度も奮起するうちに行き着いたのが、原点の原宿だった。

原宿で店を開いたときも最初からうまくいったわけではなくて、初月の売り上げはたった2000円。でも「なんか面白いことやってる」って徐々に若い子や外国人が集まって、このエリア全体も「裏原」と呼ばれるようになり、自分が原宿という場所で認められるようになったときに、もっと自分のやりたいことをやってもいいんだと思えるようになった。

■日本と海外の学生を結びたい

何が言いたいかというと、何でもない自分がここまできたのは自分の力だけじゃなくて下の世代の人が支えてくれたってこと。上の人からは批判されたけど。下の世代に何かできないかなと思って、日本のアートや文化を学びたい海外の若者と、海外で学びたい日本の若者を支援するNPO「ヘリウム」を今年7月に立ち上げ、次世代が交流できるスペースを作ろうとしています。

――(U22)京都造形芸術大学で客員教授となるなど教育者としても活動されていますが、最近の学生を見てどう感じますか。

大学の授業で学生の質問に応じる増田氏(写真は日本大学芸術学部)

日本の学生はあれもだめこれもだめと制約が多くて、SNS(交流サイト)もすぐ炎上するせいか、考え方が小さくなっている気がします。文化庁文化交流使として1年かけて世界を回ったときに、現地の20歳ぐらいの子にも会うんだけど、すごく積極的なのね。いま試験的にインターン生として受け入れているオランダの学生2人も、お金がないと言ったらユーチューバーになったりクラウドファンディングをやったり、自分でどんどん考えて行動する。

だからNPOを始めたのも、世界の若者と、自分を支えてくれている日本の若い世代が同い年なのに全然違うから、交流できたら刺激を受けるんじゃないかと思ったんだよね。自分はもっとやっていいはずなんだと思えるようになるんじゃないかなって。

10年前のワールドツアーで出会ったファンの子たちが成長して、今度は逆に仕事をくれたりしたときに、ああ、未来ってこういうことかなと感じた。意外と5年後、10年後の未来は、今作っているんだなって。

■「稼いでからやりたいことをやれ」は本当か?

――(大森)増田さんといえばきゃりーぱみゅぱみゅのイメージがありますが、クライアントから「同じような世界観を作って」と言われたりして、アートとビジネスの間で葛藤することはないですか。

まず自分の中にはアートディレクターとアーティストという2つの面があります。アートディレクターというのはクライアントとの仕事になるから、一番大事なのはビジネスとして成功させるということ。でもそれ以外に自分の作品をつくる時間がないと、心はズタズタになる。もっと自分には可能性があって色々な見せ方ができると思ってもそれをやらせてもらえるとは限らないし、イメージを固定されたくないという思いがある。

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