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レノボ・ジャパンのデビット・ベネット社長は米AMDの日本法人で営業を初めて学んだ

レノボ・ジャパンのデビット・ベネット社長は米AMDの日本法人で営業を初めて学んだ

カナダ出身のデビット・ベネット氏は2018年5月、中国レノボ・グループ(聯想集団)の日本法人レノボ・ジャパン(東京・千代田)の社長に就いた(同じグループのNECパーソナルコンピュータ社長も兼務)。日本古典文学の研究者から転じて、コンサルタントを経て、米半導体大手、AMDの日本法人に入社。その後、カナダ、シンガポールのAMDを歴任し、レノボ・グループ入りして日本に戻った。太平洋を行き来するような、ダイナミックなキャリアだ。

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「2007年から18年まで、12年間にわたってAMDに勤めました。最初はセールス・アカウント・マネジャー、つまり営業職ですね。もちろん、全くの素人でしたから、一から教えてもらう状態でした。でも、日本で営業を初めて学んだことが、その後の会社人生にすごく役立ちました」

日本流の「努力」で同僚に差

28歳のベネット氏に営業マンとしてのイロハを教えたのは神谷知信・日本AMDのマーケティング本部マーケティング部長(現・アドビシステムズ日本法人常務執行役員)だった。営業先の顧客に対する電話での話し方や、メールでのフォローアップ、日本的なビジネスマナーなどを一つひとつ教えてくれたという。「神谷さんからは『慣れない世界で大変だろうが、君には何かがあると感じている。がんばれ』と、よく励まされました」

まだ小さかった子供2人を、妻と一緒に世話しながらも、仕事には没頭した。日本流の細かな顧客フォローや、相手の望むものをタイミングよく提案する営業手法は、日本を出て故郷のカナダや米国、またアジアのトップとして後にシンガポールに駐在した際にも大いに効果を発揮した。「日本流の『努力』というか、一生懸命に仕事を突き詰めることも他の同僚に差をつける力になりました」

2010年からは母国カナダのバンクーバーで働くことになった。個人ユーザー向けパソコン製品に搭載するCPU(中央演算処理装置)のセールス担当だ。「一度しか会ったことのない北米担当の幹部が『一緒に働かないか』と声をかけてくれたんです。またチャンスをもらった。『がっかりさせられない』って思いました」

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