師匠・植木等さんの親心に泣いた丼 小松政夫さん食の履歴書

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1942年、福岡県出身。高校卒業後に上京。64年から3年10カ月、植木等に付き人兼運転手として師事。独り立ちしてからは伊東四朗との掛け合いなどで次々とヒットを飛ばす。2011年から日本喜劇人協会会長。9月に明治座で「めんたいぴりり~未来永劫編」に出演。五十嵐鉱太郎撮影
1942年、福岡県出身。高校卒業後に上京。64年から3年10カ月、植木等に付き人兼運転手として師事。独り立ちしてからは伊東四朗との掛け合いなどで次々とヒットを飛ばす。2011年から日本喜劇人協会会長。9月に明治座で「めんたいぴりり~未来永劫編」に出演。五十嵐鉱太郎撮影

喜劇役者、小松政夫さん(77)の人生は21歳のとき、ある求人広告を偶然目にしたことで急転回した。当時人気絶頂だった植木等さんの付き人兼運転手となり、芸能界の扉を開く。必死だった下積み生活、親父(おやじ)さんに食べさせてもらった丼の味が忘れられないという。

アルバイト先の菓子店でつまみ食い

教師だった父親は戦後、福岡で洋菓子店を開き、外国人も買いに来るほど繁盛していた。物資の乏しい時代に、アンコ入りの紅白まんじゅうをよく作った。朝食はいつもハムエッグとトースト。「おぼっちゃまでした」

しかし中1のとき父親が亡くなると生活は暗転。6畳2間の狭い家に、母子7人が暮らした。母親は「マサ坊、高校にはやれんから中学を出たら働いてくれんね」と懇願。「毎日がどん底の貧乏」だったという。

自らの意志で定時制高校に進学。かわりに生活費を稼ぐため老舗和菓子店「石村萬盛堂」でアルバイトを始めた。

「おいしいんだ!」。つまみ食い厳禁の貼り紙がしてある前で、わざと店の商品である菓子をつまんだ。幼い頃から人を笑わすことが大好きだった。店の女将は他の者には厳しいのに「駄目っしょ」というだけ。「なぜか、かわいがってもらった」

高校卒業後、上京して役者になろうと考え、女将に「出世払いでお金を前借りできませんか」と頼んだ。女将は「辞めるときは前借りっていわないの」と言って、100円札を100枚手渡した。1万円は当時の大卒初任給とほぼ同額の大金だ。

ポークカツからトップ営業マンへ

どん底の貧乏からお茶の間の人気者へ――。サクセスストーリーの節目には、恩人たちとの出会いがあった。1人目がアルバイト先の女将とすれば、2人目は自動車ディーラーの元上司だ。

19歳で上京して劇団に合格したものの入団金が払えず、職を転々とした。事務機を売り込もうと自動車ディーラーに日参していたとき、一人の男性が近寄ってきた。

「空手チョップだよ~ん」。突然、力道山の物まねで胸をたたく。「何するんですか」と食ってかかると、黙って近所のレストランに連れ出された。「Youはこれを食え」。初めてのポークカツのおいしかったこと。説得に押され、自動車ディーラーへの転職を決心した。

営業部長だった男性とは妙に馬があった。「この人のためにがんばろう」。2年半、休みを一度も取らず毎日13時間働いた。いつしか毎月10万円を稼ぐ、トップ営業マンになっていた。

ある日、芸能週刊誌の3行広告が目に留まった。「植木等の付き人兼運転手募集。やる気があるならめんどうみるヨ~~」。月給は7000円。大幅な減収となる転身に同僚たちは驚いたが、営業部長は「お前に合っているかもな。後の仕事は俺が全部片付けてやる」と、文句も言わず送り出した。

昼食抜きで師匠の車磨く

人生最大の恩人、植木等さんとの師弟関係は有名だ。「親父さん」と慕って、一心に尽くした。

過労で倒れた植木さんの快気祝いのゴルフ大会。早朝、運転手として会場まで送り届けると、「プロの洗車を見せてやる」とパンツ一丁になって車を磨き上げた。

夕方になって、プレーを終えた人たちから感嘆の声があがる。「おっ、新車かい?」。苦労は報われたが、洗車に熱中するあまり食事を取ることをすっかり忘れていた。

ゴルフ大会からの帰り道。後部座席に体を沈めた植木さんが尋ねた。「おい、昼飯食べたか」「はい」「ウソつけ」。食事を抜いていることはお見通しだった。

「俺もあまり食べてないから、そば屋にでも寄ろう」。師匠と食事にいくときは、安いかけそばかラーメンを頼むのが常だった。このときもかけそばを選んだが、師匠の注文を聞いて驚いた。カツ丼と天丼。「よかった、親父さんすっかり回復したんだ」

ところが丼が運ばれてくると、師匠は「いけねえ、油ものは医者に止められていたんだ。お前、これも食べなさい」と勧める。最初から食べるつもりがないのに、腹をすかせた弟子にたっぷり食べさせんがための芝居だった。師匠の気遣いに触れ、泣きながら丼をかき込んだ。

「この男は今は私の運転手ですが、いずれ大スターになります」。植木さんは人に会うたび売り込んでくれた。その言葉通り、人気番組の出演をきっかけにスターへの階段を駆け上った。「いつも最高の人たちに巡り合った。だから今の自分がいるんです」

まずシジミのニンニクしょうゆ漬け(左)を注文し、フカヒレの姿煮で締める(東京都新宿区の「青葉」)

旧コマ劇場裏の台湾料理店

小松さんが30年以上通うのが、新宿・歌舞伎町にある台湾料理の名店「青葉」(電話03・3200・5585)。今はなき新宿コマ劇場の楽屋口のちょうど向かい。入り口脇の奥まったテーブル席が小松さんの指定席だ。まず店の名物の「シジミのニンニクしょう油漬け」(1000円)を注文し、最後に「フカヒレの姿煮」(6300円)で締める。

お酒が大好きな小松さん。「シジミは肝臓にいいしプクッとした独特の食感が最高」。台湾産は黄金色で、見た目も美しい。「黒色の日本産では客が満足してくれない」(李克順・社長兼総料理長)。肉厚のフカヒレはコラーゲンたっぷりで、舌の肥えた多くの食通をうならせてきた。レトロな雰囲気の店内には音楽が静かに流れ、古き良き「昭和」を感じさせる。

最後の晩餐

子どもの頃、父親の作るすき焼きが大好物でした。今でも肉は好きで、サーロインかロースの鉄板ステーキが食べたいですね。数年前、自宅近くにいい店を見つけ、妻とよく行きます。店主は無愛想ですが、焼き方が実に上手。口の中でとろける食感が最高です。

(木ノ内敏久)

[NIKKEIプラス1 2019年6月29日付]

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