大人の隠れ家へ湯河原が変身 旅館リノベで沸く温泉街
かつて東京の奥座敷と呼ばれ文豪や政治家、財界人に愛された神奈川・湯河原が、静かに復権しつつある。廃屋同然だった老舗旅館を再興し、大人の隠れ家的な魅力を訴える。ここ数年、観光ブームから取り残された感もあった湯河原だが、万葉集ゆかりのスポットもあり、新元号にあやかる動きもみられる。
温泉街復権へ官民が連携
新幹線を利用すると東京から1時間弱。湯河原はしっとり落ち着いた風情の温泉街だが、老朽化した宿泊施設も多く、中心街はシャッター通りと化していた。若者や外国人客でにぎわう隣の熱海と対照的に、これという集客の目玉もない湯河原には、寂れた雰囲気さえ漂っていた。
明治から大正、昭和にかけて、湯河原は高級温泉地と位置づけられ、ゆかりの著名人は枚挙にいとまがない。夏目漱石、谷崎潤一郎、島崎藤村、国木田独歩などの文豪が湯河原に長く滞在して執筆したり、晩年を過ごしたりした。
竹内栖鳳(せいほう)、安井曽太郎などの画家、重光葵、大倉孫兵衛など政財界の大物も、湯河原を拠点としていた。天野屋、中西旅館などの老舗高級旅館が並んだ中心街は最盛期、20軒以上の温泉宿が軒を連ねていた。
上野屋のように往時の建物そのままに営業を続ける老舗もあるが、建物の老朽化は否めない。そんな中、湯河原復権の象徴的な存在となるのが、老舗旅館の一つ、富士屋旅館のリノベーションと再興だ。官民ファンドの地域経済活性化支援機構と横浜銀行が合わせて10億円を出資、「かながわ観光活性化ファンド」を立ち上げ、その第1号投資案件となった。
富士屋の歴史は江戸時代に遡る。今も残る建物は1923年(大正12年)建造だ。20年近く営業を停止していたので、床が抜けるなど荒れ放題だった。建物のリノベーションの設計・管理は際コーポレーション(東京・目黒)が担当し、2月に完成。春から本格的に再稼働した。
再興にあたって「往時の雰囲気をなるべく残すため、梁(はり)や障子、窓枠、床、階段など使えるものはそのまま生かした」(施工を担当したファーストキワ・プラニングの市川昌次社長)という。
復興した富士屋の魅力の一つが食事だ。「馳走(ちそう)の宿」を標榜し、目玉料理は高知・四万十川で育ったウナギの炭火焼きだ。地焼きと呼ばれる蒸さない関西風の調理法によるウナギは、ぱりっと香ばしい。地元漁港から揚がるキンメダイのしゃぶしゃぶも人気で、日帰り温泉客が昼食や夕食に立ち寄ることも多い。宿泊料は1泊2食付きで2万5000円程度から。
富士屋の復活に歩調を合わせ、中心街の湯元通りや温泉場商店会でも復興事業が相次いでいる。古い土産物屋をレストランに改装したり、スマートボール遊技場がワインバーになったり、街全体を活性化させる動きが出ている。旧天野屋本館の跡地には町立湯河原美術館が開業し、地元ゆかりの画家、平松礼二氏のアトリエを併設している。
シニア富裕層に魅力アピール
新元号令和の出典となった万葉集がブームになっているが、湯河原にも万葉集ゆかりの観光スポットがある。温泉街の中心部にある万葉公園だ。万葉集4500首の中で唯一、温泉を詠んだ歌が湯河原を舞台にしている。「足柄の土肥の河内に出づる湯の世にもたよらに子ろが言はなくに」(詠み人知らず)で、竹内栖鳳の手による歌碑が立つ。もっとも、湯河原温泉観光協会が令和につながるエピソードを古い文献などから必死に探したが「何も出なかった」(同協会の宮下睦史氏)そうだ。
湯河原復権の火付け役となった地域経済活性化支援機構の米森智基マネージャーは「湯河原をシニアがゆったりくつろげる隠れ家のような場所にしたい」と語る。時間も懐も余裕があるシニア富裕層を狙っている。インバウンドブームと一線を画す静かなたたずまいこそ、湯河原の魅力と位置づける。
春は幕山公園の4000本の梅、初夏は5万株のサツキが見ごろとなり、千歳川や新崎川には野生のホタルが舞い飛ぶ。夏は海水浴、秋はミカン狩り、冬は湯量たっぷりの温泉と、湯河原は四季を通じて楽しめる。好きな文豪の足跡をたどるのもよし。海の幸、山の幸に舌鼓を打つもよし。できれば1泊ではなく、長めに滞在し、ゆったり流れる時間の中に身を置いてみたい。
(編集委員 鈴木亮)
[日本経済新聞夕刊2019年6月22日付]
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