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レノボ・ジャパンのデビット・ベネット社長はかつて日本古典文学の教授を目指した

レノボ・ジャパンのデビット・ベネット社長はかつて日本古典文学の教授を目指した

中国レノボ・グループ(聯想集団)はパソコンメーカーとして世界最大の規模を持つ。日本市場担当のバイスプレジデントとして、日本法人レノボ・ジャパン(東京・千代田)とNECパーソナルコンピュータの社長を務めるデビット・ベネット氏は、日本古典文学の教授を目指しながらビジネス界に転身した経歴の持ち主だ。日本流のビジネス作法を生かして昇進してきた。

(下)世界の半導体大手で実力発揮 原動力は日本流営業術 >>

2018年5月にNECパーソナルとレノボ・ジャパンの社長に就いた。「世界を見渡しても、自国でパソコンをつくれる国は実は少ない」とベネット社長は言う。「ものづくりへのこだわりがあるのが(NECパーソナルの主要拠点である)米沢事業場(山形県米沢市)の強みであり宝物」。「日本市場にベストフィットな商品を作れるのは素晴らしい力だと思う」

スマートフォン(スマホ)全盛の時代とみえるが、ビジネスの世界ではまだまだパソコンは主力の「仕事道具」といえる。レノボ・グループは1984年の創業から20年後の2004年に米IBMのパソコン事業を、11年にNECのパソコン事業を買収し、17年には富士通のパソコン部門も傘下に迎え入れた。NECと富士通は今もブランドを存続したまま、それぞれが独立体として事業を継続している。

CPU大手の米AMDからレノボへ

ベネット社長の前職は、パソコンの頭脳部となるCPU(中央演算処理装置)のメーカーとして米インテルと世界を二分する米AMDの日本とアジア大洋州の責任者だった。日本語が巧みなので、様々な転職のオファーを受けることがあったという。レノボ・ジャパンを選んだ理由を、「NECの技術があれば、本当にいろいろなことができると、強いやりがいを感じたから」と説明する。

ベネット家の一族は中米・ジャマイカで「マイノリティーの白人系」として何代も続いていたという。だが、1959年のキューバ革命などを発端に社会が不安定になり、一族は世界各地に移住することになり、ベネット氏の両親はカナダに移住した。

子供時代はサッカーに明け暮れていたが、転機となったのは9歳を迎える頃に米アタリの初期型パソコンに触れたことだった。「モデムが付いている画期的な製品で、今でいうインターネットのはしり。友人のパソコンとつないで通信したり、『ベーシック』『アセンブラ』などのプログラミング言語を打ち込んでゲームを作ったりして没頭しました」

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