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未完のレース

トリノ五輪スケーター、13年後に知る自分が届けた夢 スピードスケート、大津広美(最終回)

2019/6/26

トリノ五輪のシーズンが終わり、北海道・更別村(十勝地方)に五輪報告会も兼ねて帰郷した際、かつて所属した地元のスケート少年団に温かく迎えられた。小学生の半分が少年団に所属するほどスケートが盛んな村の子どもたちにとって、大津広美は「五輪で転倒した選手」では決してなかった。中でも当時小学4年生の酒井寧子(23、さかい・ねね)は、父親に連れられて観戦したパブリックビューイングで、小さな村の、しかも同じ少年団出身者が大舞台で堂々と滑っていた様子に「かっこいいなぁ」と憧れた。

富士急スケート部に入った酒井寧子(左)=2019年4月の入社式で

報告会で、小さな女の子と少しだけ言葉を交わしたのは覚えている。しかし13年後、女の子があの日以来自分の背中をずっと追い続けていた事実を初めて知る。酒井が、12年以来7年ぶりに採用された富士急スケート部新入部員3人のうちの1人となっていたからだ。バンクーバー五輪選考会まで指導を受けた長田照正(70)が現場に復帰するタイミングで、ホープとして迎えられた。

帯広南商を卒業し高崎健康福祉大へ進学。実業団の環境とは違うが、昨年就職した茨城県競技力向上対策本部で職員を務めながらスケートを続けた。昨年10月の全日本距離別選手権(長野)と、12月の全日本選手権(北海道)で5000メートルに優勝。ナショナル強化選手にも選ばれている。

■「特別な憧れの選手です」

帯広南商の先輩には、平昌五輪の団体追い抜きで悲願の金メダルを獲得した高木菜那(26)、美帆(25)姉妹がいる。酒井は、自分と同じ小さな村から五輪の大舞台に立った大津の、見えない背中を13年追い続けた。今回の取材にこう答える。

「村で行われたパブリックビューイングで大津選手を初めて見ました。小さな村から、世界の大舞台で堂々と滑っている姿、そしてこんなにたくさんの人たちに応援されているのを見て、かっこいいなぁ、速い選手になって自分もオリンピックに出たいと思いました。大津さんは特別な憧れの選手です」

どれほどの憧れや情熱をもって応援されているか。それは大津が見られなかった光景だ。

現在は、ナショナル強化選手に選ばれ、昨季は団体追い抜きのサブメンバーにも入った。当時、手探りで挑んだ種目は、あの転倒を機に強化策そのものの改革に取り組み、今では金メダルを期待されるレベルとなった。22年、13年前大津が見せてくれた夢の舞台、北京五輪を目指す。

この間、故郷を離れた2人に特別な交流はなく、酒井が自分に憧れるだけではなく、同じ道を追っていたのも知らなかった。

「ねねちゃんが、順調に実力をつけている様子は聞いていました。でも、私がそのきっかけになったとは知りませんでしたし、何か相談を受けたわけではありません。自分が、誰かの目標になれたなんて本当にうれしくて、結果とかメダルとは違う喜びです」

自分の背中を追いかける後輩の存在を初めて知った

五輪には魔物が棲(す)む。それを、身を持って知らされた競技者が13年たち、それでも自分に憧れ、努力し続ける後進の存在を知る。2人をつないだのは、唯一、オリンピックという夢の力だけだった。

産休を終えたら、障害者スポーツの普及にまた取り組みたいと強く願っている。一度、障害者たちにスケート靴を履かせ、氷上を一緒に滑る競技体験を行った。本当に久しぶりに履いたスケート靴で氷上に立ち、最初は恐る恐る氷を歩いていた子どもたちと滑るのが楽しかった。スポーツをする側から、支える側に回り「スポーツと向き合う姿勢には、トップ選手でも障害者でも変わらないと学んだ気がする」と話す。

友人たちと郊外に麦畑を持ち、そこで友人の子どもたちも一緒になって畑仕事を楽しみ、収穫した麦でパンを作る。そんな活動もする。

「出産し、普通のお母さんと同じように保育園どうしようと慌て、仕事との両立に悩んで毎日慌ただしく、ドタバタと過ぎていく。きっとそういう日々になるんだと思います。でもそれが一番楽しみです」

大津はそう言って、もう一度お腹に手をあてた。

=敬称略、この項終わり

(スポーツライター 増島みどり)

大津広美
1984年、北海道更別村生まれ。清水宏保氏(長野五輪で金メダル)らを輩出したスピードスケートの強豪、白樺学園高校で頭角を現し、2年生からワールドカップ(W杯)に出場する。2003年、富士急へ。06年トリノ五輪では1500メートルと団体追い抜き(チームパシュート)で出場を果たす。団体追い抜きは3位決定戦で転倒し、メダルを逃した。アクシデントを引きずり、1500メートルは2分4秒77で33位に終わった。06年、08年の全日本距離別選手権では3000メートルで優勝。09年世界距離別選手権では団体追い抜きのメンバーとして3位に。だが10年のバンクーバー五輪には出場できず、同年引退。自己ベストは1500メートル1分56秒93、3000メートル4分5秒71、5000メートル7分11秒29(いずれも国内歴代20位以内)。引退後は富山で専門学校に通い、庭師になった。私生活では13年に結婚し、現姓は中野。現在、仙台市障害者スポーツ協会に勤め、障害者にスポーツを教えている。
増島みどり
1961年、神奈川県鎌倉市生まれ。学習院大卒。スポーツ紙記者を経て、97年よりフリーのスポーツライターに。サッカーW杯、夏・冬五輪など現地で取材する。98年フランスW杯代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」でミズノスポーツライター賞受賞。「In His Times 中田英寿という時代」「名波浩 夢の中まで左足」「ゆだねて束ねる ザッケローニの仕事」など著作多数。「6月の軌跡」から20年後にあたる18年には「日本代表を、生きる。」(文芸春秋)を書いた。法政大スポーツ健康学部講師

「未完のレース」ではこれまで競泳の千葉すずさん、柔道の篠原信一さん、マラソンの土佐礼子さんを取り上げています。こちらも併せてお読みください。

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