知花くらら 苦しんだ20代、短歌が救ってくれた

ルーツである沖縄についても初めて歌で向き合った

ちょうど30代に入り、できることが増える中で、自信がついてくる時期でもあった。

「30歳に差し掛かるころから20代のころのようなつまずいた感覚が薄れ、少しずつラクになっていった感じがありました。それまでは理想の自分と現実の自分のギャップをどう埋めるかに必死でした。それが例えば、現場で求められることを自分の中で咀嚼(そしゃく)できて表現できるようになるなど、小さなところからですが経験が追い付き、できることも増え、段々ラクになっていったんです」

同時に、アウトプットしてばかりではなく、インプットしたいという気持ちもわいてきた。

「ミス・ユニバース以降の忙殺される波が引き、少し自分のペースになったことで、空いた時間にひたすらインプットをしていましたね」

そうして得た時間で生まれてきた短歌はしかし、インパクトの強いものが多く、中には苦しい恋の様子が描かれていて、「これは掲載していいのだろうか?」と思うものも。

「初出時の女性雑誌の編集者さんにも言われましたが、それが私にはすごく不思議で(笑)。私にとっては創作物でもありますし、中には『SMの趣味があるのかと思われてしまうけれど大丈夫ですか』といったご意見をいただく歌もありますが、歌はイメージしていただいてこそなので、そう受け止める方がいらしてもいいかと思っています(笑)」

一方で国際貢献活動への取り組みなど、知花さんの使命感の強さを感じさせる作品もある。「ナイルパーチの鱗」には、それが特徴的に表されている。

・あの晩のあなたの匂ひのするシーツ洗へずにゐる夜10時
・この世界で波は計算できないとふ言つてやりたいあなたもよつて
・包丁でしやばらしやばらと削がれゆくあなたが触れた背中の鱗
・シュガーローフの丘にはビルが建ち並ぶ傷あとおほふかさぶたのごとく
・こめかみに刺さる視線 錆びたねぢをばらまいたやうな難民キャンプ
・ちかごろは子どもみたいに笑ふねとビールを飲みほすゆふぐれの母

(「ナイルパーチの鱗」も収められた『はじまりは、恋』より)

「国連の歌を詠むことは私にとってはずっと課題で難しく、今も苦しみます。大使として活動し始めてから12年がたちますので、あれもこれも伝えたい、正確に伝えたいという気持ちがあります。ところがそれで歌を作るとただのスローガンになってしまうんです。だからこそ大使の視点ではなく、知花くらら、一女性として景色がどう見えているかを大切に、現地の歌を詠んでいきたいと思っています」

ルーツである沖縄についても、歌にしている。特別に表現したいと思ったことはあったのだろうか。

「処女歌集にまとめる際に、師匠や編集者さんとも沖縄の歌は外せないかもしれないという話をしていました。ただ、今の状況や過去に起きたことを考えすぎると、歌ではなくなってしまう。沖縄のことを詠んでいる時点で、距離感を感じられたくはない……そんなふうに悩んでいたら、歌人の穂村弘さんに『あまり考えすぎないでお父さんのこととか家族のこととかを、歌ってみたらいいじゃない』と言われて、ふっと気が抜けて作り始められるようになりました。その結果、少しずつ沖縄の歴史が出てきたという感覚です」

自然にルーツが表れたものの、今も難しさは感じていると知花さんは言う。