元日テレ記者 乳がん闘病復帰から10年の軌跡

日経doors

記者の目線で闘病中の自分を振り返る

彼女に教えてもらうことはたくさんあったのですが、闘病時代の自分と向き合うきっかけももらいました。特番を作ることになり、がんを経験した記者の視点で彼女のどこを特別に感じているのか、二人のやりとりも含めて描こうという話になったのです。そして私の闘病中の映像も流すことになりました。実は記者という立場から「いつか何かに使うかもしれない」と先輩が私の闘病中の様子を撮影してくれていたんです。

そこで初めて当時の映像を見直すことになるのですが、本当につらい作業でした。「死にたい」と泣き叫んでいるシーンがあったかと思えば、自宅マンションから飛び降りようとしているシーンまで残っていて、当時の絶望的な気持ちを思い出しました。

しかもショックだったのは、番組の編集担当者が作業をした後の映像を見るとつらいシーンがカットされずにそのまま残っている。「こんなの絶対に出さないで」と涙ながらに訴えましたが、「記者の目線で見たら、これを流さない選択肢はあるか?」と問われ、自分の中でふに落ちました。それに、この映像を見てさんざん泣いたことで、つきものがストンと落ちたような感覚があり、ようやく自分の過去を引き受け、がんになった自分を受け入れることができたと思います。

自分の映像を見て、「ようやく過去を受け入れられた」

フリーペーパーの発行や患者団体を立ち上げ

仕事だけでなく、プライベートでもがんに関する情報を積極的に発信していきました。

復帰後すぐに実施したのは、仲間の存在を知らせることです。自分が落ち込んだときに助けてくれたのは、がんを患っても自分らしく生きている「がんの先輩たち」です。私もいつか同じような境遇になった「がんの後輩たち」の役に立ち、希望になる存在になれればと思い、自分だけでなく若くしてがんを患った人の実名、顔出しの体験談が掲載されたフリーペーパーを発行することにしたのです。出来上がった冊子は、質の高いがん医療の「均てん化」(全国どこに住んでいても標準的な専門医療を受けられること)を目的に整備された「がん診療連携拠点病院」に電話をかけまくり、送付して置いてもらうという作業を続けました。

そしてその冊子を発行するとともに、若年性がん患者団体の「STAND UP!!」を発足し、不安や悩み、葛藤を共有する場としました。その4年後には「Cue!」というプロジェクトも立ち上げました。これは自宅と病院の往復で孤独感を抱えがちながん患者のためにヨガやウオーキング、プチ遠足などを企画し、同じ病気を患った友達をつくる場所を提供するというものです。

Cue!のプロジェクトが本格化するなかで、がんになった人がいつでも訪れることができるような常設の場を作りたいと考えるようになりました。でも自分一人では資金的にも難しい。そこで両親も巻き込み、自宅のマンションを売ってもらい、3階建てくらいの中古住宅を買い、その一部を常設スペースとして開放するという案を思いつきました。今考えるとあまりに無謀なアイデアですが、家族は「美穂がやりたいなら」と同意してくれました。

ただ、その構想はガラリと変わりました。そのきっかけとなったのは患者支援団体の代表が世界各国から集まる国際交流会議「IEPPO」に参加してからです。そこではがんに対する考え方がまるで日本と違い、さまざまな刺激を受けたのですが、大きな収穫となったのは、英国発祥の「マギーズセンター」のことを知ることができたことです。

マギーズセンターとはがんになった人やその家族、友人などがんに影響を受けたすべての人が気軽に訪れ、治療や日々の生活について相談することができる場所です。まさにやりたかったことそのものでした。私がやることはローンを組んで一軒家を買うことではなく、マギーズセンターを日本に持ってくることなんだと思い、ギリギリのタイミングで一軒家の契約は解除しました。