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元日テレ記者 乳がん闘病復帰から10年の軌跡

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日本テレビの記者、キャスターを務めていた鈴木美穂さんは24歳の時に乳がんを患います。8カ月に及ぶ闘病生活を経て職場復帰。再び記者としてがんに関する情報を発信するとともに、プライベートでもがん患者のために精力的に活動を続けます。そしてがん患者だけでなく、がんに影響を受けたすべての人が気軽に訪れ、相談できる英国発祥のマギーズセンターの日本版、マギーズ東京センターの開設にこぎ着けました。闘病復帰後10年の節目となる今年、世界一周の旅へ。そんな鈴木さんの挑戦の日々とこれからについて、じっくりと伺いました。

がんになったから伝えられることがある

がんを患ったのは今から11年前の2008年、24歳の時でした。その後休職し、右胸摘出の手術と抗がん剤の投与による治療を始めました。09年1月に8カ月の休職を経て職場復帰した私は、休職前と同じ記者としてのポジションで働くことになりました。当然大病を患った身ですから、寝る間も惜しんで働くバリバリの記者の道はあきらめなければなりません。ただ、自分なりの情報発信の方法があると考えていました。闘病を経験したからこそ、上から目線にならずにがんについて伝えられることがある、がんで苦しんでいる人の力になりたい、がんになっていない人にも理解を広めたい――そんな思いを抱いていました。

がんになった人の日常に密着したドキュメンタリーを制作したり、厚生労働省の担当記者としてがんや病気に関するニュースを追いかけたりする日々が続きました。そんななか出会ったのが、山下弘子さんです。生命保険会社アフラックのCMに出ていたといえば思い出す方も多いのではないでしょうか? 彼女は大学1年生、19歳のときに肝臓に巨大ながんが見つかり、余命半年を宣告されました。その後手術したものの、再発転移を繰り返していました。

山下弘子さんに密着取材

友人に彼女のブログを教えてもらい、読んだときには衝撃を受けました。治療の真っただ中にありながら、「すべてのことに意味がある」「ありがとう」と前向きな言葉が並んでいる。私には考えられないことでした。どうしても直接会って、なぜそんなに前向きになれるのか話を聞きたかった。ブログ経由でメッセージを送ると、「アジア放浪の旅をしていて、今、関西国際空港に戻ってきたばかりです」と反応がありました。がん治療中なのにアジア放浪? それだけで驚きましたが当時の上司に許可を取り、翌日すぐに会いに出かけました。

闘病中でありながら好きなことをして自然に笑って、「がんに人生を支配されていない」山下さん。絶対に彼女の生きざまを伝えたいと強く思いました。つきっきりで取材し、まとめた映像を放送するとその反響は予想以上に大きかったです。

その後も彼女とは富士登山をしたり、宮古島に旅行に出かけたりと公私にわたっての交流が続きました。彼女は「死ぬ気がしない! 80歳まで生きる」と言う一方で、「今日が最後かもしれない」とも話し、今を大切に丁寧に生きる気遣いの人でした。だから最後に緊急入院したときも目を覚まして「驚かせてごめんね」と笑って言ってくれると信じていました。

記者の目線で闘病中の自分を振り返る

彼女に教えてもらうことはたくさんあったのですが、闘病時代の自分と向き合うきっかけももらいました。特番を作ることになり、がんを経験した記者の視点で彼女のどこを特別に感じているのか、二人のやりとりも含めて描こうという話になったのです。そして私の闘病中の映像も流すことになりました。実は記者という立場から「いつか何かに使うかもしれない」と先輩が私の闘病中の様子を撮影してくれていたんです。

そこで初めて当時の映像を見直すことになるのですが、本当につらい作業でした。「死にたい」と泣き叫んでいるシーンがあったかと思えば、自宅マンションから飛び降りようとしているシーンまで残っていて、当時の絶望的な気持ちを思い出しました。

しかもショックだったのは、番組の編集担当者が作業をした後の映像を見るとつらいシーンがカットされずにそのまま残っている。「こんなの絶対に出さないで」と涙ながらに訴えましたが、「記者の目線で見たら、これを流さない選択肢はあるか?」と問われ、自分の中でふに落ちました。それに、この映像を見てさんざん泣いたことで、つきものがストンと落ちたような感覚があり、ようやく自分の過去を引き受け、がんになった自分を受け入れることができたと思います。

フリーペーパーの発行や患者団体を立ち上げ

仕事だけでなく、プライベートでもがんに関する情報を積極的に発信していきました。

復帰後すぐに実施したのは、仲間の存在を知らせることです。自分が落ち込んだときに助けてくれたのは、がんを患っても自分らしく生きている「がんの先輩たち」です。私もいつか同じような境遇になった「がんの後輩たち」の役に立ち、希望になる存在になれればと思い、自分だけでなく若くしてがんを患った人の実名、顔出しの体験談が掲載されたフリーペーパーを発行することにしたのです。出来上がった冊子は、質の高いがん医療の「均てん化」(全国どこに住んでいても標準的な専門医療を受けられること)を目的に整備された「がん診療連携拠点病院」に電話をかけまくり、送付して置いてもらうという作業を続けました。

そしてその冊子を発行するとともに、若年性がん患者団体の「STAND UP!!」を発足し、不安や悩み、葛藤を共有する場としました。その4年後には「Cue!」というプロジェクトも立ち上げました。これは自宅と病院の往復で孤独感を抱えがちながん患者のためにヨガやウオーキング、プチ遠足などを企画し、同じ病気を患った友達をつくる場所を提供するというものです。

Cue!のプロジェクトが本格化するなかで、がんになった人がいつでも訪れることができるような常設の場を作りたいと考えるようになりました。でも自分一人では資金的にも難しい。そこで両親も巻き込み、自宅のマンションを売ってもらい、3階建てくらいの中古住宅を買い、その一部を常設スペースとして開放するという案を思いつきました。今考えるとあまりに無謀なアイデアですが、家族は「美穂がやりたいなら」と同意してくれました。

ただ、その構想はガラリと変わりました。そのきっかけとなったのは患者支援団体の代表が世界各国から集まる国際交流会議「IEPPO」に参加してからです。そこではがんに対する考え方がまるで日本と違い、さまざまな刺激を受けたのですが、大きな収穫となったのは、英国発祥の「マギーズセンター」のことを知ることができたことです。

マギーズセンターとはがんになった人やその家族、友人などがんに影響を受けたすべての人が気軽に訪れ、治療や日々の生活について相談することができる場所です。まさにやりたかったことそのものでした。私がやることはローンを組んで一軒家を買うことではなく、マギーズセンターを日本に持ってくることなんだと思い、ギリギリのタイミングで一軒家の契約は解除しました。

神懸かったスピードでマギーズ東京を開設

その後はマギーズ東京を作るために無意識のうちに準備していたんじゃないかと思うくらい神懸かったスピードで物事が進んでいきました。早速、日本に帰ってマギーズセンターを検索すると一人の名前が出てきました。日本にもマギーズセンターを作りたいという思いの下、モデルにした「暮らしの保健室」という施設を開設されていた秋山正子さんでした。

私は記者だから会いたい人には躊躇(ちゅうちょ)なくアポを取って会いに行くフットワークはあります。そこで早速、秋山さんにアポを取り、マギーズについていろいろと話を聞きました。そして会ったその日に「一緒に作りませんか」とお伝えしてみると受け入れてくれました。そしてマギーズ東京開設に向けて動き出しました。

まずは土地探し。不動産会社に勤める友人に連絡してみると、たまたま豊洲エリアにある遊休地を有効活用する企画を募集する話があるとのこと。あまりのタイミングの良さに鳥肌がたちました。

そして話はとんとん拍子に進み、破格の条件でその土地を貸してもらえることになりました。分からなければ一番詳しそうな人に相談してみる。それが大きなチャンスを呼ぶことになると実感しました。

次は資金調達です。できれば1000万円は調達したい。そこで周囲からの勧めもあり、クラウドファンディングを開始しました。フェイスブックでクラウドファンディングに関する投稿を毎日しつこいぐらい繰り返して呼びかけ、最終的に2200万円の支援を頂くことができました。その結果、2020年までにオープンしたいと思ったのですが、4年も前倒しで開設することができました。オープンしてからは、たくさんの方にご利用いただき、2019年1月までで約1万4000人の患者や家族が訪れました。

仕事を辞めて夫と共に世界一周へ

仕事もプライベートも順調で、34歳の誕生日目前に結婚。このままこの調子でやっていくのかなと感じていた矢先に夫にこんな提案をされました。それは「がんになって10年」が迫った2018年のバレンタインデー。ホテルのレストランで食事中に夫が「一緒に世界一周に行こう。美穂が覚悟できるなら同じタイミングで仕事を辞める覚悟ができたから」と言ってくれたのです。かねがね世界一周が夢であることは伝えていました。ただ、行くのは仕事の合間、有給休暇を集めて弾丸でと思っていましたが、「美穂が思うような形で一緒にかなえよう」と提案してくれました。

もちろん二人で仕事を辞めることには不安がありましたが、生きてさえいれば仕事はなんとでもなる。長い人生1年くらい好きなことをしてもいいのではないかと思うようになりました。しかもがんになってから10年の年。絶好のタイミングで夢への実現へとかじを切ることができました。

これから世界中のまだ見ぬ景色や面白い人に出会って、「やっていきたいことのモデル」をたくさん見つけたいと思っています。人生は一度きりしかないのですから、もっと自由に、柔軟に歩んでいきたいと思っています。

※鈴木美穂さんは今年6月2日、無事日本を出発し、世界一周の旅をスタートさせています。

(取材・文 飯泉梓=日経doors編集部、写真 小野さやか)

鈴木美穂
1983年生まれ。2006年慶応義塾大学法学部卒業後、日本テレビに入社。報道局社会部や政治部の記者、「スッキリ」「情報ライブ ミヤネ屋」ニュースコーナーのデスク兼キャスターを歴任。著書に『もしすべてのことに意味があるなら』(ダイヤモンド社)がある

[日経doors2019年4月15日付の掲載記事を基に再構成]

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