スケーターから庭師へ 五輪の悔しさを癒やした転身スピードスケート、大津広美(3)

大津広美は現在、仙台市障害者スポーツ協会に勤務する(同協会がある元気フィールドにて)
大津広美は現在、仙台市障害者スポーツ協会に勤務する(同協会がある元気フィールドにて)

2006年トリノ五輪の女子団体追い抜き(チームパシュート)で転倒し、メダルを逃したトップスケーター、大津広美(35)は4年後のリベンジを果たせず、引退する。次に選んだのは見知らぬ土地で「庭師」になることだった。富山の専門学校で、若い仲間と植物に関わる中で大津の疲れた心は徐々に癒やされていく。今回はリンクを離れ、第二の人生を歩み始めた姿を描く。前回は(「五輪で転倒、落胆救ってくれた 岡崎朋美さんの言葉」

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09年12月、バンクーバー五輪選考会に敗れた大津広美は10年1月、6年在籍した富士急を退社し競技から引退する。思い切った決断は、自分の気持ちの大きな変化と正直に向き合った結果でもある。

それまでは氷に乗って滑り出せば落ち着いた。ところが、トリノのリベンジをバンクーバーで果たせなくなった現実に直面し、氷に乗るのがつらくなっていた。心残りがないといえば嘘だったが、子どもの頃から毎朝、極寒のリンクに通うのさえ楽しかった自分が、氷には乗りたくないと思うようになった変化は認めなくてはならなかった。

「スケートではここまでの選手だった」と、自らに見切りをつけ、退社と同時に人生での転機もはかろうと考える。

故郷の北海道・更別村に帰れば、もちろん温かく迎えてもらえる。何か仕事を見付ける機会もあるかもしれない。しかし、高校でスピードスケートの名門、白樺学園に入学してから女子エリートが集まる富士急に入社するまで「すべてトントン拍子」(大津)で滑走し続けたのだから、今度はスケート靴を脱ぎ、自分で歩いてみたい。そんな思いが、セカンドキャリアの原点だった。

見知らぬ土地で再起

気分転換は、過酷な練習をやり抜くよりもはるかに難しかったが、唯一、心からリラックスできたのは山や森林を歩いている時間だった。そこで植物に関わる仕事に就こうと情報を集め始め、植物、園芸に関わる仕事、「庭師」を育成する専門学校(富山の職芸学院)の存在を知る。何のつてもなければ、そこには小さい頃から休みなく滑った愛着のあるリンクもなかったが、全く違う生活を求め、選考会から4カ月後、富山へ引っ越しをする。富士急の関係者も驚く転身だった。

富山の職芸学院時代は「贅沢な時間だった」

植物に関わりたいとの希望と同じか、それ以上に、これまでの自分とは違う世界に身を置きたい、その思いが見知らぬ土地での再起を考えた重要な理由でもあった。

野心と向上心に満ちあふれ、0コンマでタイムを競い、最高峰であるオリンピックを常に狙う集団でサバイバルしてきた25歳は、富山で初めて肩の力が抜け、大きく深呼吸しているような感覚を味わえたと振り返る。

「それまで自分がいた体育系、スケートの世界とは違う人々と接する毎日は、本当に新鮮でした。高校卒業したての若い学生たちはとてもピュアないい子たちで、勉強もゼロからでしたので楽しかった。休日は、厳しいトレーニングのためのリフレッシュ日ではなく、ただの休日にできましたし、朝練もない。今振り返ると、あんな贅沢(ぜいたく)な時間が過ごせて幸せだったと思います」

年代も、目的も違う専門学生のなかで、かねて願っていた「普通の社会人」としての生活を、元五輪選手は堅実に築き始めた。21歳で出場した五輪で転倒してメダルを逃がし、そのメダルを取り戻そうと懸命にトレーニングに打ちこんだ4年間で心身が燃え尽きた時、過去を消して「心のリハビリ」ができる場所でもあった。