トップ女性起業家の後悔 自分の尺度で生きるの遅れたDeNA 南場智子会長

「私は自分の人生を生き始めるのがすごく遅れた人間」。ディー・エヌ・エー(DeNA)創業者で会長の南場智子さん(57)は、女性起業家の先頭ランナーとして知られる。しかし、意外な後悔を口にした。米ハーバード大でMBA(経営学修士)を取得し、マッキンゼー・アンド・カンパニーでコンサルタントとして経験を積んでから起業した南場さんの人生のどこが「遅れた」のか。キーワードは「自分の尺度で生きているか」だ。U22記者と早稲田大学法学部4年の林美沙さんがインタビューした。

――(林)DeNAを起業したころのことを教えてください。なぜ決断できたのでしょうか。迷いはありませんでしたか。

1999年、DeNAを起業しました。あのときの情熱は、まるで熱病にかかったようでした。

当時、私はマッキンゼーのコンサルタントで、同社のパートナーになっていました。普及が進んでいた携帯電話でオークションサイトをやったら面白いんじゃないかというアイデアを思いついて、コンサルタントとして他社の知り合いに熱心に勧めたのです。するとその人から「君がやればいいじゃない」と言われた。私は他人にアドバイスするのが仕事でしたから、自分がやるという発想がありませんでした。一瞬、「え?」って思ったけれど、次の瞬間から「わーっ」と情熱がわいてきたのです。

主人以外のすべての人に反対されたのに、迷いはありませんでした。なぜ迷わなかったのか。もうこれは論理的には説明できません。情熱がわきおこってしまい、とにかくやりたくてたまらなくなってしまったとしか言えないのです。

情熱に突き動かされて起業した

このとき、私は初めて自分の人生を生き始めたと思っています。それまでの人生、私はいつも自分以外の誰かの尺度で決めていました。高校も大学も、就職先もです。もうちょっと早く、20歳くらいで自分の人生は自分の尺度で生き始めればよかった。本当に遅れたなあと思うのです。

ずっと父の言うとおりに生きてきた

――(U22)「誰かの尺度」というのは、厳しかったお父様でしょうか。

大学生まではずっと父の言うとおりに生きてきました。新潟の地元では有名な怖い父でした。子どもの頃、友達の家に泊まりに行ったことさえなかった。父が許してくれなかったからです。上京はもちろん大学進学だって反対。女子大ならいいと父がぎりぎり認めてくれた津田塾大に進学しましたが、東京にいても父が見張っているんじゃないかとひやひやしていました。