縁は異なもの タクシーが運んだ男女の行く先物語鉛筆画家 安住孝史氏

池袋に着くと、料金は女性客が支払いました。ドアを開けましたが男性客は降りません。反対のドアを「車に注意して降りてください」と言って開けると、女性は降りて小走りに駅に向かいました。僕がドアを閉めると、しばらく沈黙の時間がありました。僕は池袋に行くと決めた時から、男性とひと悶着(もんちゃく)あることを覚悟していました。「どうします」と僕から聞くと、男性はひと呼吸の間を置いて、無愛想に「新宿」とだけ言いました。

新宿・歌舞伎町にある映画館の入ったビルの上から顔を出すゴジラ像。「なんでものみ込んでしまう街」にふさわしい(画・安住孝史氏)

明治通りを新宿に向かって車を走らせました。職安通りを右に折れ、区役所通りに入り、歌舞伎町に入って止まりました。男性はそれまでずっと静かで、料金も神妙な様子で支払ってくれました。

新宿はなんでものみ込んでしまう街です。車を降りて繁華街の人混みに消えていく男性が、少しかわいそうに思ったのを覚えています。後ろ姿に「頑張れよ」と声をかけたいような気持ちでした。

もうひとつ、タクシー会社の同僚のことを書きたいと思います。仕事を終えた運転手は休憩室に入り、その日にあった出来事などを話しますが、そこで耳にした話です。

乗車拒否しなかったために

彼が夜10時ごろ、JR鶯谷駅近くの根岸小学校を通り過ぎると、いくつかの風呂敷に大きな荷物を包んだ若い女の子が立っていました。彼の前を走っていた空車タクシーは無視して通り過ぎました。大きな荷物を目にして、トランクを片付けたり、運ぶのを手伝ったりする面倒を考えて乗せなかったのでしょう。当時のタクシーは夜間のお客さまをつかまえるのにあまり困りませんでしたから、乗車拒否する運転手も少なくありませんでした。

同僚の彼は女の子の前で止まりました。風呂敷に包まれた荷物は布団でした。行き先は西新井橋を渡った先の足立区本木です。到着したのは、外階段のついたアパートの2階とのこと。荷物は一度では運びきれず、彼も手伝ったということです。その話はいい話なので、それだけでも記憶に残ったのですが、実は続きがあります。

10年ぶりに彼と偶然、会うことがありました。2度目のタクシー運転手をしていた時です。僕はいったんタクシー運転を辞めていましたし、そのときは前の会社とは別の会社でしたから、それまで顔を合わせることはなかったのですが、交差点で止まった時、たまたま隣に止まったタクシーが前の会社の車で、運転席を見たら彼だったのです。

お互い車を止めて再会を喜び、近況報告や思い出話に花を咲かせました。僕が前の会社にいた当時は独り身だった彼もすでに結婚し、小学生と年長組の子どもがいると幸せそうでした。そして、なんと奥さんは風呂敷包みを運んであげた女の人だというのです。男女の縁は異なものですね。

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安住孝史
1937年(昭和12年)東京生まれ。画家を志し、大学の建築科を中退。70年に初個展。消しゴムを使わない独自の技法で鉛筆画を描き続ける。タクシー運転手は通算20年余り務め、2016年に運転免許を返納した。児童を含めた芸術活動を支援する悠美会国際美術展(東京・中央)の理事も務める。画文集に「東京夜の町角」(河出書房新社)、「東京・昭和のおもかげ」(日貿出版社)など。

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