インカ帝国から500年以上続く 草のつり橋架け替え
ペルー、アンデスの高地を走る峡谷を流れるアプリマック川。カナス郡にあるこの川には、ケスワチャカ橋がある。両岸に架かる川の上で危うげに揺れるロープのつり橋は、500年にわたって人々が架け替えることで守ってきた橋で、この技術は、ユネスコの無形文化遺産にも登録されている。インカ帝国時代から続く、つり橋の架け替えを、写真で紹介しよう。
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毎年、6月になると、近隣の村人たちがここに集まり、古い橋から新しい橋に架け替える。川の両岸にいる人々が力を合わせて、長さ30メートル以上、人間の大腿部よりも太いロープを、古い橋の上に渡す。用済みとなった古い橋は切り落とされて、眼下の峡谷へ落ちていく。3日間の作業、祈祷、祝祭をへて、新たに編まれたつり橋が完成するのだ。
アプリマック川が流れるこの一帯に住む人々にとって、この橋は何百年もの間、両岸の村々をつなぐ唯一の道だった。インカ帝国時代には、同じようなロープのつり橋が数多く作られ、現在「インカの道」として知られる主要路の一部として、広大な領土の各地を結んでいた。全長が4万キロ近くあった「インカの道」のおかげで、それ以前は孤立状態だった村同士のつながりができ、兵士、伝令、一般市民たちが帝国を横断できるようになった。
この輸送網は、「世界へ出て、混乱の時代を終えた世界をまとめ上げる」という、インカ族が自らの使命とみなした行いの一環で整備されたものだと、米国立アメリカ・インディアン博物館ラテンアメリカ局のホセ・バレイロ氏は言う。「これらの橋は、クスコから帝国の四方へ広がる輸送網の要でした」
16世紀にインカ帝国を倒したスペイン人は、川幅が広いため、木の橋桁を渡せない場所に架けられたつり橋を見て、その優れた技術に感銘を受けた。
しかし、長い年月とともに多くの橋がなくなった。20世紀に入ると、車が通れる新たな道路と橋が作られるようになって、つり橋のほとんどは姿を消した。
ケスワチャカ橋は、孤立した場所にあったことが幸いして、その伝統は途切れることなく受け継がれている。現在この橋は、ケチュア語を話す4つの村を結ぶ。近くには、車が渡れる金属製の橋もできたが、周辺住民は今も昔ながらのロープの橋を徒歩で渡って行き交い商売を行う。
2013年には、今もこの一帯に暮らす人にとって重要であることが評価され、ケスワチャカ橋はユネスコの「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に加えられた。
「ここでは500年前に起源をもつ生きた文化を、目の前で見ることができるのです」とバレイロ氏は言う。
バレイロ氏によると、この文化におけるもっとも重要な要素は、「共同の労働」という考え方だという。複数のコミュニティーが集い、力を合わせて事業を行うが、人々は労働に対する対価を期待しない。最後には村や地域全体が利益を得ることを、彼らは知っているからだ。
橋を作る作業は長い草を集めるところから始まる。次に、それを撚り合わせて細いロープを作る。この細いロープを撚り合わせて太くしていき、最終的には橋を固定する重くて太い「ケーブル」を編み上げるのだ。こうして出来上がったケーブルを、一帯の村から集まった人々が力を合わせて古い橋の上に渡していく。
つり橋を吊るケーブルが頑丈な礎石にしっかりとつながれたら、経験豊富な橋づくりの職人たちが、橋の両端から中央へと移動しながら、草と木の棒を使って橋の側面と床を編んでいく。職人たちが橋の中央で出会い、床用に編んだマットを敷いたら、新たな橋の完成だ。
この架け替えに関して最近大きく変わったことがある。それは「架け替えの頻度」だとバレイロ氏。道が整備され、ケスワチャカ橋へのアクセスが良くなって観光客が増えた。渡る人数が増えたことで橋の安全性を高めるとともに、毎年架け替えることで、たくさんの観光客を呼び込める。そのため、かつては3年に1度だった架け替えが毎年の行事となったのだ。
橋が完成したら、村人たちは音楽、祈祷、ごちそうでお祝いをする。こうして、新しくなったケスワチャカ橋の1年が始まる。
次ページでも、インカ帝国時代から途絶えず受け継がれるつり橋の架け替えを写真で紹介する。
(文 ABBY SEWELL、写真 JEFF HEIMSATH、訳 北村京子、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2018年9月6日付記事を再構成]
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