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五輪選手村の食堂どうなる? 過去大会からヒント探る

2019/6/13

1964年大会の料理人を務めた鈴木勇さん(横浜市磯子区)

2020年東京五輪・パラリンピックの選手村では、24時間営業のメイン食堂を中心に最大で1日約5万食が各国選手団に振る舞われる。具体的なメニューは今夏にも案が固まる見通しだ。「日本らしさ」を打ち出しつつ、国籍や宗教など多様な食文化にどう対応するか。1964年東京大会の関係者や、近年の五輪を知る元日本代表らの話からヒントを探った。

「目が回るほど忙しかった」。約90の国・地域が参加した1964年東京五輪に集まった約300人の料理人の1人で、今も横浜の洋食店で腕を振るう鈴木勇さん(79)は懐かしむ。

代々木の選手村には、アジアや中東の選手団向けで鈴木さんが担当した「富士食堂」など3つの食堂があり、朝昼晩と約7千人分の食事が主にバイキング形式で出された。鈴木さんは海外選手の食べる量に目を丸くした。「当時は珍しかった1リットルの牛乳パックを1人で持っていく選手もいた」

1964年東京五輪の選手村食堂=帝国ホテル提供

料理人にとって、扱ったことのない海外のメニューも少なくなかった。本場の味にどう近づけ、円滑かつ大量に提供するか。

富士食堂の料理長を務めた元帝国ホテル料理長の村上信夫さん(故人)らが導き出した答えの一つが、当時は「味が落ちる」とされた冷凍食品の活用だ。日本冷蔵(現ニチレイ)の協力で野菜の冷凍なども取り入れた。輸送効率化のため、食材は集中管理する拠点にあらかじめ保存しておいて食堂に届けた。

■洋食文化が広まるきっかけに

いま以上に「レシピは門外不出」の時代にあって、ホテルの宴会料理などが共有された。鈴木さんはここでポタージュの作り方を覚え、店に取り入れた。当時のレシピ集には、スープやソースだけで数十種類がずらりと並ぶ。

料理や調理法は持ち帰られ、洋食文化が広まるきっかけになった。のちに村上さんのもとで働いた帝国ホテルの田中健一郎・特別料理顧問(68)は「大会は日本の食に様々なレガシーをもたらした」と話す。

2020年東京大会では近年の五輪同様、大会組織委員会から委託を受けたケータリング業者が選手村食堂の運営や人材の手配、メニューの考案などを担う。

核となるのは1日最大4万5千食を想定するメインダイニング。1階と2階に分けて計約4500席を配置し、各国の料理を提供する。イスラム教の戒律に沿ったハラル食にも対応する。被災地などの特産物を使った日本食を出すカジュアルダイニング(約400席)も併設する方向だ。

複数の大会関係者によるとメニュー数は過去大会と同規模か、やや多くなりそう。世界的な食品廃棄ロス問題に配慮し、メニューの全体計画に基づき仕入れ量を抑えつつ、「煮る」「焼く」といった調理工程を集中させるなどして無駄を減らすという。

大会の飲食メニューに助言する「アドバイザリー委員会」の座長も務める田中さんは「食の安全を確保し、選手には最高のコンディションで試合に臨んでもらうことが最優先。そのうえで日本のおもてなしや豊かさ、おいしさも伝えたい」と話す。

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