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数の子・塩辛… 日本の塩蔵食品、保存と発酵の技満載魅惑のソルトワールド(30)

塩や塩蔵食品を運ぶ道を「塩の道」と呼ぶ(千国街道の番所の看板がかかる)

ところで、日本各地に「塩の道」と呼ばれる道があることをご存じだろうか?

塩そのものや、塩で漬けこんだ海産物を内陸に運ぶために使われた道を指す。日本では塩はほぼすべて海水から製造されるため、製塩地は海岸沿いに集中していた。昔は内陸部の人たちが海産物を食べるためには、塩蔵して運ぶしかなかった。牛や馬の背に大量の荷物を乗せて、山道を歩いて運搬した。塩や塩蔵海産物を運んだ帰りは海辺で手に入りにくい木材や鉱物を運んだという。

塩の道は重要な交易路であり、道沿いには城下町や宿場町が発展した。塩は重要な経済物資で、塩の生産地や運搬通路は経済的にも発展するのである。そして過去「塩の道」と呼ばれた道の中には、現在でも主要な物流ルートとして使用されているものもある。代表的な塩の道をいくつかご紹介しよう。

一番有名なのは「千国(ちくに)街道」だろう。新潟県の糸魚川から長野県の松本・塩尻をつなぐ道を指す。江戸時代に松本藩が日本海側で生産された塩を運ぶために整備された主要ルートである。厳密に言うと、糸魚川で塩が生産されていたわけではなく、糸魚川に運び込まれた塩を運搬するための塩の道であった。「敵に塩を送る」という言葉の元となった、上杉謙信が武田信玄に塩を送ったというエピソードでは、千国街道で塩が運ばれたと言われている。

また、富山県で獲れたブリを塩漬けにしたものが糸魚川に運ばれ、そこから千国街道を通って内陸部に運ばれたことから、別名「ブリ街道」と呼ばれることもある。松本では年越しを塩漬けのブリで祝う習慣があるそうだ。長野県白馬村や小谷村では現在でも「塩の道祭り」が開催されるなど、当時の様子を振り返りながら塩の道を散策できるだろう。

次に、「野田べコの道」を紹介したい。岩手県北部の野田村で生産された海水塩を盛岡近辺まで運んでいた塩の道のことを指す。その運搬方法が牛(岩手県の方言で「べコ」)のため、「野田べコの道」という愛称がつけられている。千国街道とは異なり、塩の生産地から内陸部へつながる塩の道で、こちらも現在でも一部散策ができる。

食べ物の名前がついているのは、「サバ街道」というものもある。福井県の若狭湾で獲れたサバが塩漬けされて京都まで運ばれていたことから、この塩の道は「サバ街道」と呼ばれているのだ。

塩の生産地はもちろん、塩の道の通過点だった場所でも塩蔵食品は製造されたので、全国各地に特徴的な塩蔵食品が存在しているのである。

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