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片腕で900mの岩壁に挑む 女性クライマーの意志

日経ナショナル ジオグラフィック社

2019/6/16

ナショナルジオグラフィック日本版

モーリーン・ベック氏は障害者クライマーの挑戦はまだ限界に達していないと語る。「本当の限界がどこにあるのかわかりません」(PHOTOGRAPH BY CEDAR WRIGHT)

左腕に先天的な障害をもちながら、クライミングに挑む女性がいる。米国バーモント州の大学を卒業したモーリーン・ベック氏だ。彼女がクライミングを趣味で始めたのは2009年のこと。アイスクライミングがきっかけだった。それから10年。彼女の足跡を写真とともに追ってみたい。

◇  ◇  ◇

「こんにちは。私は生まれつき左腕の肘から先がないんだけど、トランゴ社のアイスツールの端を切り落としてネジをつけ、義手にはめ込んでみました。これで登れるかしら」。ベック氏がクライミングを始めるときに、あるクライミングサイトに投稿した内容だ。

トランゴ社はクライミング用品メーカーだ。創業者のマルコム・デイリー氏は、彼女の投稿を読んで「何か起きても、トランゴを訴えなければ大丈夫ですよ」と返信した。そのデイリー氏自身、右足の膝より先がないクライマーだ。そしてデイリー氏は、米コロラド州で開催されるアイスクライミングイベント「ギンプス・オン・アイス」に、ベック氏を招待した。障害者のためのクライミング振興団体「パラドックス・スポーツ」が立ち上げたイベントで、この年が第2回目の開催だった。

それまで、ベック氏は他の身体障害者と一緒にアウトドアスポーツをやったことがなかった。メーン州の国立公園に近い小さな町で、アウトドアが好きな家族に囲まれて育った。弟が3人いるが、両親はベック氏だけを特別扱いすることはなかった。ベック氏自身も、左の手がないなりに創意工夫を凝らし、色々なことに挑戦した。ガムテープでパドルを義手に巻き付けてカヌーを漕いだり、体育の時間に習うスポーツは何でもやりたいと主張した。

野球をやったときは、グローブを使わず片方の手だけでボールをキャッチし、投げ返した。中学校では、サッカー部の入部テストでゴールキーパーを希望した。コーチやキャンプのカウンセラー、体育教師に「今回は座って見学したほうがいいだろう」と言われれば、決まって「私にできないと思ってるんですか? 見てから言ってください」と言い返した。

そんなベック氏が、ギンプス・オン・アイスのためにコロラド州に訪れ、それまでと全く違う世界を体感した。そこには、高さ30メートルの氷の壁に挑む十数人の障害者がいた。四肢の一部や歩行機能を失った人、視覚に障害をもつ人がいた。できない言い訳をする人は、一人もいない。「みんな本物のアスリートでした。全力で壁を登ります。そして、夜になれば、やはり全力でお酒を飲むという具合です(笑)。最初から最後までお祭り騒ぎの週末でした。自分と同じだ、と思いましたね」

ベック氏は、クライミングの世界に起ころうとしていた変化を目の当たりにしていた。自転車やスキーと同じように、身体に障害がある人もクライミングを習得できるし、それを新たな次元へ引き上げることも可能だ、という考えが生まれようとしていたのだ。人生で初めて、ほかの身体障害者とつながりを持ちたいと願ったという。

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