五輪で転倒、落胆救ってくれた 岡崎朋美さんの言葉スピードスケート、大津広美(2)

トリノ五輪女子団体追い抜き3位決定戦(右から)石野枝里子、田畑真紀と滑走中に転倒した大津広美(共同)
トリノ五輪女子団体追い抜き3位決定戦(右から)石野枝里子、田畑真紀と滑走中に転倒した大津広美(共同)

スピードスケート団体追い抜き(チームパシュート)は3人で隊列を組み、空気抵抗の大きい先頭を入れ替わりながら滑走するため、アクシデントが起きやすい競技だ。2006年トリノ五輪の3位決定戦で転倒した大津広美(35)は、レース後にかけられた2つの言葉を今も忘れないという。今回は4年後のリベンジを目指し、バンクーバー五輪に向けて戦った大津の揺れ動く心の内に焦点を当てる。前回は(「平昌五輪パシュート『金』の原点 ある女性選手の転倒」

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メダルに手をかけながらこぼしてしまった団体追い抜きから6日後の2月22日、大津広美(当時富士急)は、1500メートルに出場する。転倒の際に腰と背中を強打したが、不思議と痛みはなかった。実際には、痛みを感じる余裕さえなかったのだろう。短時間で精神的に立ち直るのは難しく、原因不明の腹痛にも見舞われた。

「つらい」と周囲に漏らせば迷惑をかける。21歳が、自分をコントロールするのは難しい。揺れる気持ちはそのまま滑りにも影響を及ぼし、同じリンクで2カ月前の12月にマークした(W杯)2分1秒71から、3秒も遅れる2分4秒77で33位に。夢にまでみた五輪は、長く、苦しい戦いで終わってしまった。そんな中で、13年がたった今も、心に残る「言葉」が2つあった、と振り返る。

五輪の光と影が見えた

3位決定戦のレース後、肩を落とす大津

ロシアに対し0秒4ものリードを持っていた地点での転倒に「自分が転倒しなければ……チームメートに申し訳ない」と、自ら責任を口にしたが、それでもオリンピック新種目で4位に入った結果まで否定する気持ちはなかった。試合直後のフラッシュ(速報)インタビューを受けなくてはいけない、と事前に言われていた。気持ちを立て直し3人で選手と報道陣が交わる「ミックスゾーン」に向う途中、こう言われた。

「メダルではなかったので、ここは(インタビューを)しなくても大丈夫です」

3位と4位の差にハッとさせられた。

「レース後にはインタビューを受けるように、事前に通達を受けていました。オリンピックではメディアの注目度の高さを実感しましたが、メダルが取れなかったのでインタビューはなくて構わない、と聞いた時、あぁ、これがオリンピックなんだろうな、と何となく納得する部分もありましたね」

憧れの舞台にも、光と影のように様々な側面が見えたと明かす。

もうひとつは今でも大切にする言葉だ。同じ富士急の先輩で、1994年リレハンメルからトリノで4度目の五輪出場を果たした長野五輪500メートル銅メダリスト、岡崎朋美(47=現在は解説、タレントで活躍)は、うなだれている自分にこう声をかけてくれた。