「のりたま」刷新、実に8回 信頼守るため変え続ける丸美屋食品工業 阿部豊太郎社長(上)

丸美屋食品工業の阿部豊太郎社長は創業者の息子だが、日本長期信用銀行に15年も勤めていた
丸美屋食品工業の阿部豊太郎社長は創業者の息子だが、日本長期信用銀行に15年も勤めていた

食品メーカーの丸美屋食品工業は前身の丸美屋食料品研究所を設立した1927年から数え、創業92年目を迎えた。「のりたま」や「麻婆豆腐の素」「とり釜めしの素」などのロングセラー商品を持つことでも知られている。創業者の息子で4代目社長の阿部豊太郎氏は東京大学経済学部を卒業後、日本長期信用銀行(当時)を経て入社した経歴の持ち主だ。

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――丸美屋と言えば「のりたま」が思い浮かびます。

「『のりたま』を発売したのは1960年ですが、じつは、その元になった商品がありました。前年の59年に発売した『玉子ふりかけ』です。魚粉を使ったふりかけが主流だった時代に、これは卵を使った画期的な商品でしたが、ヒットはしませんでした。『玉子ふりかけ』の味や食感を見直し、海苔やゴマを足すなどして生まれた商品が『のりたま』です。『海苔』と『卵』と言えば当時から旅館の朝食の定番でしたから、この組み合わせに、創業者で私の父親である阿部末吉もピンと来たといいます」

「その後、70年に『とり釜めしの素』、翌71年に『麻婆豆腐の素』を発売しましたが、いずれもトップブランドを獲得し、ロングセラー商品に育っています。トップシェアを取れたそもそもの要因は何かと言えば、パイオニア商品だったこと。パイオニアを作るということが、ロングセラーを生む最大の秘訣です」

――『麻婆豆腐の素』も売り出し当初はかなり苦労したと聞きます。

「麻婆豆腐は今でこそ、どこの中華料理屋さんに行っても食べられる定番メニューとなっていますが、発売当初は銀座あたりにある大きな中華料理屋さんでしか食べられないメニューでした。ですから、まず、麻婆豆腐が何かをほとんどの人は知らないし、商品名を読めなかった。『麻婆』を『マーバー』と読む人も多く、問屋さんや流通に売り込みに行っても、『変な商品を持って来るな』と怒られたそうです」

「ただし、日本人は豆腐をよく食べていましたから、売れる素地はあるだろうということで、辛抱しながら我慢強く売ってきた。当時はあちらこちらで団地が作られた時代でもありましたから、消費者の認知度を上げるため、豆腐組合と連携して団地の集会所を借り、試食会なども頻繁に繰り返していたようです」

「『麻婆豆腐の素』に関しては、最近だと花椒(ホアジャオ)の舌がしびれる辛さを楽しむ『マー活』も流行し、本格的な辛さを追求した新商品も二桁ペースで伸びています。ロングセラーはもちろん大事ですけれども、それだけではブランドイメージの鮮度が失われてしまう。常に新しいものを出しながら、そのなかで売れる商品を育てていく。それを飽きずにやっていくことが大事です」

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